ゲーオア・ブランデスとは? わかりやすく解説

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ブランデス【Georg Morris Cohen Brandes】

読み方:ぶらんです

[1842〜1927]デンマーク文芸批評家比較文学の手法を用いて国際的な視野に立つ文芸批評展開した。著「一九世紀文学主潮」「ロシア印象記」など。


ゲーオア・ブランデス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/20 14:05 UTC 版)

ゲーオア・ブランデス(右)

ゲーオア・モリス・コーエン・ブランデスGeorg Morris Cohen Brandes1842年2月4日 - 1927年2月19日)は、デンマーク文学史家・批評家である。コペンハーゲン大学教授。

コペンハーゲンユダヤ人の家庭に生まれる。生まれたときの姓名はモリス・コーエン。テーヌコントミルなどの影響を受け、カエサルシェイクスピアヴォルテールゲーテや、同時代の文学についての評論を数多く著し、19世紀末のヨーロッパを代表する文学史家であると評価された。

1877年から1883年にかけてベルリンに滞在した際、レーザロメと交際してニーチェの存在を知った。『善悪の彼岸』や『道徳の系譜』を贈呈されたブランデスは、その思想における禁欲主義民主主義に対しての嫌悪・蔑視に高い関心を示し、「貴族的急進主義」と評価して、それ以来ニーチェとは頻繁に文通を行う知己の仲となった。ブランデスはニーチェにキェルケゴールの存在を知らせ、ストリンドベリイプセンに注目するよう示唆している。それがきっかけでニーチェはストリンドベリとも文通を始めることになった。1888年4月にブランデスはコペンハーゲン大学でニーチェに関する数回にわたる公開講義を行い、ニーチェの名をヨーロッパ(とくにスカンディナヴィア)の知識人たちに広めるのに大きく寄与する役目を果たした。

主著『十九世紀文学主潮史』(1872年 - 1890年)がある。吹田順助訳で1950年代に一部が、創元文庫で刊行された。

日本語訳

第1巻 亡命文学(吹田順助訳) 『移民文学』春秋文庫 1933
第2‐3巻 独逸浪漫派(吹田順助訳)
第4巻 仏蘭西の反動(茅野蕭々訳)
第5‐6巻 英国に於ける自然主義(柳田泉訳)
第8巻 仏蘭西の浪漫派(内藤濯訳)
第9‐10巻 青春独逸派(茅野蕭々訳)


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