中村光夫とは? わかりやすく解説

なかむら‐みつお〔‐みつを〕【中村光夫】


中村光夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 09:32 UTC 版)

中村 光夫(なかむら みつお、1911年明治44年)2月5日 - 1988年昭和63年)7月12日)は、日本文芸評論家劇作家小説家。本名、木庭 一郎(こば いちろう)。明治大学名誉教授。第6代日本ペンクラブ会長。日本芸術院会員。文化功労者


  1. ^ 『朝日新聞』1967年4月7日(東京本社発行)朝刊、14頁。
  2. ^ 岩井寛 編『作家の臨終・墓碑事典』東京堂出版、1997年、242頁。ISBN 4-490-10463-4全国書誌番号:98014882 
  3. ^ 藤原紀香らを輩出したミス日本とは異なる(この年は開催されていない)
  4. ^ 「カナダ親善訪問のミス日本に選ばれた 木庭弘子」『朝日新聞』、1965年3月13日、東京・朝刊、5面。


「中村光夫」の続きの解説一覧

中村光夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 04:59 UTC 版)

中島敦」の記事における「中村光夫」の解説

文芸評論家。中村光夫は第一高等学校時代1年後輩で、文科丙類(フランス語)にいた。その後中島と同じ東京帝国大学進んだ中村法学部入学後仏文科入学し直した中村大学時代中島について、「氏はその頃無数に出てゐた同人雑誌のどれにもあまり関係せず、また小説なども書かなかつたらしいその頃僕等の使つた言葉で云へば、氏は『文学をやめて』ゐた」と語っている。中島教員時代中村評論新聞取り上げられ高評価されたとき、中島同僚山口比男に「君、彼らほどの才能でも、努力すればこれ位にはなれるんだ」と口惜しそうに言ったという。

※この「中村光夫」の解説は、「中島敦」の解説の一部です。
「中村光夫」を含む「中島敦」の記事については、「中島敦」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「中村光夫」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



中村光夫と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「中村光夫」の関連用語

中村光夫のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



中村光夫のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの中村光夫 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの中島敦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS