文芸評論のなかでの世界観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 03:06 UTC 版)
民族学などで用いられる本来の「世界観」とは異なる用法として、日本の出版業界において漫画やライトノベルを対象とする、ポストモダンの文芸評論における用語としての「世界観」がある。本来の意味から転じて、「フィクションにおける世界設定」の意味で用いられる。大塚英志や東浩紀らはとくにライトノベルを「キャラクター小説」と呼び、「世界観」を含むメタフィクション的な要素に比重をおくものとして捉え、既存の文学とは一線を画すものと規定している(但し、言葉の正しい用法からすれば完全に誤用である。「世界観」はあくまでも「存在する世界を人間がどう見るか」であり、「主は世界、従は人間」なのだから、「作者の世界観」「作品の世界観」と言う言葉は本来成立しない)。 この場合の世界観とは、フィクションの世界の登場人物が、その物語の中の世界をどのように観て、受け止めているかという設定のことである。現実世界に直接的な影響を及ぼそうというものではないため、哲学的には世界観という範疇には収められない。哲学的な世界観とは、哲学的世界観の諸相に述べた哲学的根本衝動を持つ者が現実を把握しようと努めるときに得るものであり、世界に対して規定的に働きかけるものだからである。しかしながら、大塚英志によれば、現実世界とイコールではないにしても作品世界は現実世界の一面を表象していると考えられ、作品世界を通して間接的に現実世界を評価することは有意義であるという。読者は物語世界に根差した価値観を持つ登場人物の視点を通じ、物語の世界を観ることになるのである。 この「世界観」には以下のような特徴的な性格をあげることが出来る。 登場人物の設定、動作にある種の法則性を規定する。 作品内の用語(仮想言語も含む)やその用法を規定する。 作品内における舞台背景や時代背景、歴史にある種の法則性を規定する。 ストーリー性に法則性を規定する(具体例としては水戸黄門では黄門様が事件解決に必ず印籠を使うことなど)。 上記以外の作品の世界設定全般を規定する。 この意味における世界観は作品単体の世界設定にとどまらず、続編作品や派生作品などの二次作品の世界設定に継承され、またそれを保証するものである。同時に作者が設定した世界設定をこえて、その作品の読者や派生した作品すべてと世界設定を共有することができ、このような世界観を通して作品に関わるあらゆる人がその構築、発展に参加していくことができるという考えを大塚は示している。 大塚によれば、以前は単に「設定」と呼ばれていたものを「世界観」と言い換えるような言い回しを耳にするようになったのは1980年代半ば頃で、アニメ業界から漫画業界に持ち込まれる一方、こうした設定を出版物として扱うテーブルトークRPGが日本に持ち込まれる過程で広まったのではないかと述べている。 現在(2020年代)は時期的にすでにポストモダン以降であるが、「世界観」という言葉は引き続き上記のような意味で用いられている。
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