文芸編集者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:30 UTC 版)
廣済堂出版入社後、見城が最初に手がけた本は、「十万円独立商法」という本だった。その本について、当時「東京スポーツ」で記者をしていた高橋三千綱が特集で大々的に取り上げてくれた。特集で取り上げてくれたお礼に、本の著者が3万円を出してくれ、見城はそのお金で高橋と飲みに行き親しくなった。その後高橋が群像新人賞を受賞する。そのお祝いでまた飲みに行ったとき、小説家の中上健次を紹介された。以降、見城はゴールデン街や新宿2丁目で文学論と喧嘩の日々を過ごす。そこには、村上龍や立松和平、つかこうへいなど数多くの若き作家が集まってきていた。見城は彼らと過ごす間、彼らの中にある”狂気ともいえる情念、自分にはない治癒不能な何か”があると感じていたという。作家の中にそうした“何か”を感じられる自分には、それを表現のかたちに生み出す触媒になれるのではないか?見城は文芸編集者を強く意識するようになる。そんなとき、毎日のように会っていた高橋三千綱が角川春樹へつながる道を拓く。当時、角川書店では「野性号」という企画を行っていた。それは、古代船「野性号」を建造し、「魏志倭人伝」に記された通りに朝鮮から北九州まで渡るという角川春樹の企画だった。その企画に魅力を感じた見城は廣済堂出版を辞め、野生号事務局でアルバイトとして働きはじめる。事務・雑用を懸命にこなし、どんな小さなこともおろそかにせず明け方まで懸命に仕事をしたところ、その仕事ぶりが認められ、当時角川書店で唯一の文芸誌「野生時代」の編集部に正式採用された。
※この「文芸編集者」の解説は、「見城徹」の解説の一部です。
「文芸編集者」を含む「見城徹」の記事については、「見城徹」の概要を参照ください。
- 文芸編集者のページへのリンク