小谷野敦
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小谷野 敦(こやの あつし[4]、1962年12月21日 - )は、日本の「作家・比較文学者」[5][6]。禁煙ファシズムと戦う会[7] 元代表。愛称、猫猫先生[8]。恋愛の比較文学的研究から出発し、『もてない男』[9] を出版しベストセラーになる[10]。「新近代主義」の提唱を展開している。
注釈
- ^ 同書によると、この七か条の内容は次の通りである。
早稲田大学については「森喜朗が総理になって以来、早稲田はバカ、という意識が私にはどうしてもある」、と発言したこともある(猫を償うに猫をもってせよ 2005-07-13 市川眞人なるもの)。また、東京藝術大学については卒業者女性と実際に交際して肉体関係を持ったが、「あまり知的な感じではない」との感想を持ち、「セックスの相性が良くても、知的レベルの違いはどうしようもなく」、別れに至っている(小谷野「出会い系サイト放浪記」pp.155-156、『新潮45』2008年9月号)。「私が結婚相手に求める条件は、何よりもまず、知的であることだった。これは子供の時からの傾向で、美人でも成績の悪い女の子は好きにならず、優等生の女の子のほうが好きだった。だから、片想いの相手も、つきあった女性も、結婚した相手も、みな研究者だった」とも発言している(小谷野「出会い系サイト放浪記」p.150、『新潮45』2008年9月号)。一、一流または一・五流大学卒または大学院修了二、二十五歳から三十四歳、初婚でなくともいいから子供はいないこと
三、専門でなくともよいが、文学や演劇に関心があること、ただし古典的なもので、『源氏物語』くらい一般教養として原文ないし現代語訳で読んでいること、シェイクスピアも翻訳でいいから五、六点は読んでいること、谷崎や川端が好きというのが望ましく、村上春樹、江國香織などは不可。演劇は、歌舞伎、能楽、ギリシャ劇、チェーホフなど。宮藤官九郎が好きなどというのは不可
四、特に美人でなくともよいが、私の好みの顔だちであること
五、ちゃんと仕事をもっていてそれを続ける意思のあること
六、首都圏在住可であること
七、煙草を嫌がらなければ、性格は悪くてもよし
なお、一流または一・五流大学というのを具体的に言うと、東大、京大、一橋、東京外大、東京藝大、慶應、上智、早稲田(学部による)、ICU、お茶の水大、日本女子大、東京女子大である。 - ^ 結婚相手は21歳年下の坂本葵。
- ^
ほか「悪質というか、世間がわからないというか……。単に面白いことを書けばいい、スキャンダラスなことを書けばいいということなんでしょう」『環』2009年秋号p.368
出典
- ^ “コヤノ, アツシ”. id.ndl.go.jp. Web NDL Authorities. 2022年1月24日閲覧。
- ^ a b 小谷野敦 (1997-04-24), 〈男の恋〉の文学史――日本文学における男性恋愛心理の比較文学的研究, 東京大学, 甲第12936号
- ^ 柴田葵「ブログでの交際9ヵ月、会って2回目でプロポーズ! "もてない男"との結婚顛末記」『婦人公論』第92巻20号(通号 1234)、中央公論新社、2007年10月7日、154-157頁、 オリジナルの2008年1月13日時点におけるアーカイブ。
- ^ 2008年、小谷野 (2008h)の執筆を機に筆名の読み方を「こやの とん」に改めた。「ところで最近は、当然ながらパソコン上で、私の名前を記すことが多いが、ローマ字変換をしている私は、実はいつも「こやの・とん」で変換している。その方が簡単だからでもあるが、だから弴伝執筆中は、「ton」と打つと、まず弴、次に敦が出ていたはず。折角だから、以後私は、字はそのまま、「とん」と読んでもらって筆名にしたいと思う」(小谷野 2008h, p. 443))。2012年11月、小谷野 (2012e)で本名の「こやの あつし」に戻す。
- ^ “私の肩書は「作家・比較文学者」なんだがな。”. twitter.com (2019年7月6日). 2019年7月7日閲覧。
- ^ 「文藝評論家」と呼ばれることもあるが、小谷野自身は『朝日新聞』夕刊で担当していた「ウォッチ文芸」(1998年4月 - 2000年3月)以降、文藝評論家という肩書きを拒否している。小谷野 (2001b)に収録された「にわか文藝時評家の日々」を参照。その理由として、小谷野は「私は文藝評論家と呼ばれることもあるが、『文學界』以外の文藝雑誌からは全然お声がかりがないので、そう名乗る資格があるかどうか疑わしい」ということを挙げている(小谷野「作家見習いの記 私小説のすすめ」『中央公論』2008年12月号 pp.204-211)。
- ^ この会は2004年秋に小谷野がソーシャル・ネットワーキング・サービスmixiの中に作ったコミュニティである。「そう本格的な集団ではない」と小谷野は言っている(文学者小谷野敦の禁煙ファシズム闘争記 2007.05)。
- ^ 小谷野のブログの名前『猫を償うに猫をもってせよ』に由来。『PLANETS』誌第5号(2008年8月)にも「猫猫先生かく語りき──「もてない男」は世界をどう変革したいのか?」と題するインタビュー記事が掲載されている。なお「猫を償うに猫をもってせよ」とは田河水泡の『のらくろ漫画全集』に登場する架空の諺である。
- ^ 小谷野は「たとえこれ以後私がどれほどもてるようになろうとも、若いころもてなかった、三十まで童貞だったという怨念だけは忘れない」と発言している(小谷野 2005, p. 11)。
- ^ 小倉千加子『結婚の条件』p.135 ISBN 978-4-02264-386-5
- ^ 学部4年次在学中、英文科の修士課程の入試に失敗。このため意図的に4年生を2回繰り返し、卒業後に比較文学の修士課程に進んでいる。
- ^ a b c d e f g 追分日出子「現代の肖像 小谷野敦――比較文学者」『AERA』第16巻(34号) (通号 823) 2003年8月11日号、朝日新聞出版、2003年8月11日、56-61頁。
- ^ 小谷野は小谷野 (2004a, p. 60)で自らを「ワーキング・クラス出身」と位置づけ、「比較的貧しい家の生まれ育ちで、保守の論客になる人というのがいる。福田恆存であり、西部邁であり、渡部昇一であり、谷沢永一である。どうも私は、根っこのところでこういう人達に共感しているところがあるようだ」小谷野 (2004a, p. 58)と述べている。
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2009-09-19 中村也寸志という人
- ^ 小谷野 2001a, p. 149
- ^ a b c 小谷野 2004c, p. 142
- ^ 小谷野 2003a, p. 158
- ^ 小谷野 2001b, pp. 197–199
- ^ 小谷野 2003a, p. 13
- ^ 小谷野 2009f, p. 202
- ^ “Kinya Tsuruta”. asia.ubc.ca. asia.ubc.ca. 2022年1月26日閲覧。
- ^ “Joshua S. Mostow”. asia.ubc.ca. asia.ubc.ca. 2022年1月26日閲覧。
- ^ 小谷野 2006a, p. 257
- ^ 小谷野 2008a, p. 197
- ^ a b 猫を償うに猫をもってせよ 2006-09-29 阪大辞職顛末
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2009-09-28 告白の代償(5)
- ^ 小谷野 2004c, p. 154
- ^ 『噂の眞相』1999年7月号、p.84。
- ^ 小谷野 2008a, p. 223
- ^ 小谷野は大学院時代から「猪口邦子先生のような才色兼備の同業の女性と結婚して、二人で名をあげ、仲良く二人で学会に現れたりして嫉妬まじりの視線を浴びたい、と本気で考えていた」と述べている。学術研究者を妻にしたいという思いは大阪大学に赴任してからも続き、ある晩、喫茶店で孤独な夕食をとった帰りに古書店で猪口夫妻の共著『世界を読む──Book review 1990』(筑摩書房、1990年)を発見した折には、あまりの妬ましさに古本屋の一隅に立ち尽くしたことがあるという。小谷野 (2004a, p. 29)を参照。
- ^ 「「もてない男」小谷野敦が"裏切り"の結婚 お相手は年上の大学講師」『週刊文春』第42巻(11号) (通号 2071)2000年3月23日号、文藝春秋、2000年3月23日、179f。
- ^ a b 小谷野敦「出会い系サイト放浪記」『新潮45』第27巻(9号) (通号 317)2008年9月号、新潮社、2008年9月、148-157頁。
- ^ 小谷野 (2005)によると、最初の頃は大量のサクラに翻弄されるばかりだったが、小谷野の『出会い系サイト放浪記』によると、やがて東京藝術大学出身の28歳の音楽講師や公立大学出身の34歳の法律事務所事務員と複数回の肉体関係を持ったという(『新潮45』2008年9月号 pp.155-156)。
- ^ 『紙の爆弾』2009年12月号
- ^ “猫を償うに猫をもってせよ 2005-09-08 金は返さん”. web.archive.org (2005年12月13日). 2019年10月30日閲覧。
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2011-05-25 消費税に関する嘘の説明をやめよ
- ^ 2006-01-16 訴状提出
- ^ a b c 文学者 小谷野敦の禁煙ファシズム裁判記 1
- ^ 2007-03-24 JR東日本を提訴
- ^ 産経ニュース 2007年12月22日 JR全面禁煙「生存に重大な影響なし」 東京地裁
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2013-02-12 藤原書店に敗訴
- ^ 猫を償うに猫をもってせよ 2013-02-12 藤原書店に勝訴
- ^ 2013年2月14日 - 20:39のツイート
- ^ “[https://www.webchikuma.jp/articles/-/5。 0 小谷野敦著『現代文学論争』をめぐって第1回告発と検証]”. www.webchikuma.jp. www.webchikuma.jp. 2022年1月24日閲覧。
- ^ “この国はどこへ コロナの時代に 作家・小谷野敦さん 耐える以外、意味はない 何も言わずにいるのも必要”. mainichi.jp. 毎日新聞 (2020年7月8日). 2022年1月25日閲覧。
- ^ 本人のブログ
- ^ Google検索「芥川賞について話をしよう」
- ^ 文藝春秋社法務部が表題作についてモデル女性からの訴訟を恐れた結果、文藝春秋社からは刊行を拒否されたという。同社のこの判断について小谷野は「そんなことはありえない。却って目立つだけだし、当人は外国にいるからだ」と述べている。小谷野 (2009f, p. 209)を参照。
- ^ “『童貞放浪記』初のIQの高い童貞青春映画を山本浩司、神楽坂恵が演じる- CINEMA TOPICS ONLINE”. web.archive.org (2015年3月29日). 2019年10月30日閲覧。
- ^ “童貞放浪記 | 映画-Movie Walker”. archive.is (2016年11月25日). 2019年10月30日閲覧。
- ^ リテラニュース 2017年1月19日閲覧
小谷野敦
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小谷野敦は、2005年に著書『禁煙ファシズムと戦う』で、“「分煙」することで十分であるはずなのに、嫌煙家らは1ミリリットル (cc) たりともタバコの煙を吸いたくないと過剰に要求している”として、「中庸」を重んじる立場および喫煙者の立場から嫌煙権運動に対する批判し、“大気を汚すという点では自動車の方が大きく影響しているのに、なぜ自動車には甘いのか、また他人に迷惑を及ぼすという点では酒も同じなのに、日本では酒に対しても非常に寛容である”と述べた。 2006年(平成18年)に杉村太蔵の「若い人にとっては、タバコはくさい、汚い、金がかかるの3K」の発言を国家賠償法による損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。小谷野は法廷で国の政策を批判したが一審、二審で敗訴して上告は受理されなかった。弁護士を探したが受任者が現れずに“法曹界でも禁煙ファシズムが広がっている”と主張した。 2007年(平成19年)に新幹線や特急などを全面禁煙にしたJR東日本に対して差止めを求めたが敗訴した。2009年(平成21年)に、著書『禁煙ファシズムと戦う』の問題点を指摘して小谷野と公開討論を要望した個人に損害賠償請求を求めたが敗訴した。 2009年(平成21年)に続編『禁煙ファシズムと断固戦う!』を執筆・出版して『喫煙者の人権は無視されている!!』『常軌を逸した禁煙ファシズムに、もはやフェアプレーは通用しない』と訴えた。 哲学者カール・ポパーの「社会をよくしようとする正真正銘の親切心から起こったものが多くの惨禍を生んだ」を援用して具体例にフランス革命、ソ連、ピノチェット、ポル・ポトなどを挙げた。 「ファシズム」の用語法について、山口定『ファシズム』の定義によれば政治学上のファシズムは極めて強力なもので、この場合の「ファシズム」は比喩的用法だ、とした。
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