アイルランド人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/23 15:52 UTC 版)
(推定8000万人がアイルランド系を主張する[1]) | |
居住地域 | |
---|---|
アイルランド 4,500,000 | |
アメリカ | 40,000,000+[2] |
イギリス | 6,000,000[3] |
カナダ | 4,354,155[4] |
オーストラリア | 5,900,000[5] |
アルゼンチン | 1,000,000[6] |
メキシコ | 600,000 |
言語 | |
アイルランド語、アルスタースコットランド語、シェルタ語、アイルランド英語 | |
宗教 | |
カトリックが主流、長老派教会(アイルランド)、アイルランド国教会、その他 | |
関連する民族 | |
ブルトン人, コーンウォール人, マン島人, スコットランド人, アルスタースコットランド人, ウェールズ人, アングロ・アイルランド人など | |
* Around 800,000 Irish born people reside in Britain, with around 14,000,000 people claiming Irish ancestry.[7] |
アイルランド人は、アイルランド島を舞台に形成され、現在西ヨーロッパ、特にアイルランドに居住するケルト系民族をさす。
起源
現在アイルランドに住む人々は大別して4つの起源を有すると考えられている。第1には氷河の後退により旧石器時代に最初にやってきた人類集団、第2には新石器時代に農業と巨石文化をもたらした人々、第3には青銅器時代・鉄器時代にヨーロッパ大陸から渡来した人々(ケルト人)、そして第4にはヴァイキング、ノルマン人、イングランド人、低地スコットランド人など中世から近世にかけてアイルランドに移住、植民した人々(ゲルマン人)である。
第1の民族、およびニューグレンジなどの巨石文化で知られる第2の民族についても、その名や使用言語がまったく明らかになっていないが、第2の民族はバスク語に近い言語であった可能性がある。紀元後になりアイルランド島の住民達は自身を Banba、Fódla、Ériu などの自称で呼ぶようになる。ヒベルニア(Hibernia)は古代ローマ人によりつけられた名称である。
古代ローマ帝国後期になると Attacotti、Scoti、そしてゲールといった名称が用いられるようになった。ゲールとはウェールズ語の「襲撃者」 (gwyddell) に由来しており、最終的にアイルランド島の住民は自身をゲール人と呼ぶようになる。
英語における Irish または Ireland という言葉は Érainn、マンスター地方の中央部および南部に住んでいた民族に由来している。ブリテン島やゲール人との海上交易を行っていたこの民族の名が、アイルランド島およびそこに住む人々全体へと用いられるようになった。
遺伝子
アイルランド人のY染色体は、ハプログループR1bが81.53%(181/222)と非常に高頻度に見られる[8]。このタイプは上記の第2の民族または第3の民族ケルト人によってもたらされたと考えられる。次いで高いのがクロマニョン人由来(第1の民族由来)のハプログループIであり、14.86%(33/222)である[8]。
アイルランド人の人名
19世紀から20世紀にかけてアメリカへと移住したアイルランド人の間で、アイルランド語で書かれ発音されていた人名を英語化することが行われた。今日でもアイルランド語、英語両方の名を持つ人々が存在する。
ゲール由来の家名には O’ および Mc(少数は Mac または Ma)で始まる場合があるが、これはそれぞれ○○の孫、子孫を示す接頭語である。例えばアイルランド上王のブライアン・ボル(Brian Boru)の子孫はオブライエン(O'Brien)という具合である。Mc については高地スコットランドの家名と同様に○○の子といった意味である。接頭語 O で始まるアイルランド固有の姓としては、オニール(O'Neill)、オブライエン(O'Brien)、オコナー(O'Connor)、オリアリー(O'Leary)、オショーネシー(O'shaughnessy)、オドネル(O'Donnell)、オトゥール(O'Toole)、オメーラ(O'Meara)、オマリー(O'Malley)、オハラ(O'Hara)、O'Bradaigh、オライリー(O'Reilly)などがある。
同様に Mc、Mac で始まる姓については、マグローイン(McGroyn)、マギンティ(McGuinty)、マクスタフィン(McStiofain)、マクドノー(McDonagh)、マクドナルド(McDonald)、マックィラン(McQuillan)、マッギネス(McGuinness)、マゴニグル(McGonigle)、マッカーサー(MacArthur)、マックイーン(McQueen)、マグワイア(McGuire)、マクマホン(McMahon)などがある。
12世紀後半から13世紀にかけてノルマン人、ウェールズ人、ブリトン人などがアイルランドを侵略してレンスター王国の一部を占領した。それから300年ほどの間に支配階級のアイルランド種族と通婚を繰り返し、現在「古来のアイルランド人よりもアイルランドらしい」と言及されるような文化を作り上げた。
こうした史実を背景に生じたのが Fitz を冠する家名である。Fitz はノルマン語の子 fis に由来する。Fiz で始まる姓は、フィッツジェラルド(FitzGerald)、フィッツシモンズ(FitzSimmons)、フィッツギボンズ(FitzGibbons)、フィッツパトリック(FitzPatrick)、フィッツヘンリー(FitzHenry)などである。
現代のアイルランド人
北アイルランドではプロテスタントが多数派を占めているが、2001年の調査ではカトリック教徒が43.8%を占めている。1603年にアイルランドがイングランドの支配下に入ってから、ジェームズ1世、クロムウェル、ウィリアム3世などの治世にイングランド人、スコットランド人のアイルランドへの入植がアイルランド島北部のアルスター地方を中心として盛んに行われた。彼らはノルマン人とは違い、先住アイルランド人と通婚することが少なく、孤立したコミュニティを形成した。
アイルランドで民族主義運動が盛り上がるにつれ、カトリック教徒のナショナリストとプロテスタントのユニオニスト (Unionism in Ireland) 間の対立が発生したが、現在では多くのアイルランド人はプロテスタント系の先祖が存在するのが一般的である。
1920年のアイルランド統治法と翌年のアイルランド自由国建国により、アルスター地方のうち6州は北アイルランドを構成して、残りのアイルランドと分離した。今日の北アイルランドでは、プロテスタントはイングランドまたはスコットランド系の姓、カトリックはアイルランド固有の姓を持つ傾向にあるが、これには例外も多い。
海外への移住
アイリッシュ・ディアスポラ (Irish diaspora) は、アイルランド島外に移住したアイルランド人たちをさす言葉である。ジャガイモ飢饉による食糧事情などの悪化によって移民になる者が急激に現れ、世界各国に移住した。移住先としてはアメリカ合衆国、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、アルゼンチン、南アフリカ共和国、そして西インド諸島などである。これらの国々においてアイルランド系と見なされる人々の数は、合計8000万人にもおよぶ。その成功例がジョン・F・ケネディ大統領らを輩出したケネディ家である。
ヨーロッパ諸国の他にはアメリカ合衆国(アイルランド系アメリカ人)、アルゼンチン(アイルランド系アルゼンチン人)、チリ(アイルランド系チリ人)、ブラジルなどにアイルランド人コミュニティが存在する。アメリカにおけるアイルランド系住民の合計は4400万人と見られており、これはドイツ系に次ぐ規模の民族集団である。ラテンアメリカへの移民は18世紀から19世紀にかけて行われた。アルゼンチンには50万人ものアイルランド系の人がいると見られており、チェ・ゲバラやベルナルド・オイギンス(チリの建国の父)などもアイルランド系の血をひいている。
歴史上のアイルランド人
- Diarmait mac Maíl na mBó - レンスター王 1072年死亡
- Echmarcach mac Ragnaill - ダブリン王 アイリッシュ海を支配 1061年以後に死亡
- エリウゲナ - 哲学者 877年死亡
- Maelruanaidh Mor mac Tadg - Moylurg王国の創始者
- Niall of the Nine Hostages - アイルランドの多くの王朝の祖先、450年から455年の間に死亡
その他の人物についてはアイルランド人の一覧を参照
関連項目
脚注
- ^ The island history, discoverireland.com
- ^ American FactFinder, United States Census Bureau. “U.S. Census Bureau, 2007”. Factfinder.census.gov. 2010年5月30日閲覧。
- ^ “One in four Britons claim Irish roots”. BBC News. (2001年3月16日) 2010年3月28日閲覧。
- ^ “Ethnocultural portrait of Canada”. Statistics Canada (2006年). 2008年7月4日閲覧。
- ^ The 2006 Australian Census reports 1.9 million people of Irish ancestry in the 2001 Census. Up to two ancestries could be chosen. Recent increases in the number who identify as Australian suggest that this number is an underestimate of the true number with Irish ancestry. With that being said, the number claiming Irish ancestry from the previous census actually more than doubled. One reason, an improved image of what it means to be Irish according to the census experts, making Australians more proud to state their Irish ancestry. Also the Australian Embassy in Dublin states that up to 30 percent of Australians have some degree of Irish ancestry.[1].
- ^ An Irish Argentine in the Easter Rising[リンク切れ]
- ^ Bowcott, Owen (2006年9月13日). “More Britons applying for Irish passports | UK news | guardian.co.uk”. The Guardian (London) 2009年12月31日閲覧。
- ^ a b Helgason, A; Sigureth; Nicholson, J; et al. (September 2000). "Estimating Scandinavian and Gaelic ancestry in the male settlers of Iceland". Am. J. Hum. Genet. 67 (3): 697–717. doi:10.1086/303046. PMC 1287529. PMID 10931763.
外部リンク
アイルランド人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 21:26 UTC 版)
「バトル・オブ・ブリテン」の記事における「アイルランド人」の解説
バトル・オブ・ブリテンに参加したイギリス空軍パイロットのうちで特筆すべきは、1942年7月に戦死するまでに32機の撃墜記録を挙げたアイルランド人エース・パイロットのブレンダン・フィニュケイン(Paddy Finucane)である。彼は1940年8月12日にBf109を仕留めて初の撃墜記録を挙げ、翌日にもう1機の Bf109 を撃墜した。1941年にはオーストラリア人部隊の第452戦闘機中隊 (452 Squadron) に加わり、51日間で16機の Bf109 を撃墜した。パディと呼ばれた彼は1942年6月27日に21歳でホーンチャーチを基地とする戦闘機部隊の指揮官となった。これはイギリス空軍で最も若い飛行隊指揮官であった(Wing Commander)。早くに戦死したにも拘らず、イギリス空軍エース・パイロットのうちでは2番目となる撃墜記録を挙げた。
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アイルランド人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/25 01:50 UTC 版)
アイリッシュ・タイムズ紙によると、ポーランドのEU加盟後、ポーランド人移民労働者がアイルランドへと殺到していたが、世界金融危機後の現在は逆の現象が起き、アイルランド人がワルシャワへ少数ではあるが仕事で移住をしている。ポーランドでは、次の3年間に400億ユーロの大規模なインフラ設備投資が2012年のUEFA欧州選手権の為に使われる。不況の欧州の建設市場の中でポーランドは大きな労働市場があり、本社スタッフの半分と現場スタッフの1/3はアイルランド人のアイルランド企業が約3億ユーロの仕事を得た。しかしワルシャワで働くには給料は低くなる。欧州の隣国は経済危機によろめくが、ポーランドの経済成長は必ずしも停止していない。スキルと運により、ポーランドは金融危機は無く、住宅バブルも無い。しかし、アイルランド人の移住は、言語の壁からも同スケールの逆現象にはけしてならない。
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アイルランド人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/20 15:02 UTC 版)
「アメリカニゼーション (移民)」の記事における「アイルランド人」の解説
アイルランド人は、米国への移民とアメリカ化の最初の波に関して最も影響力のある民族グループであった。 アメリカの都市に新しく到着した移民はアイルランド人を避けるのに苦労した。 アイルランド人はアメリカの労働者階級社会のあらゆる面に存在していたので、ニューカマーにとってアイルランド人の存在はとても身近だった。 1840年から1890年までの間に、300万人を超えるアイルランド人移民が米国に入国し、1900年までに、第1世代と第2世代の約5,000,000が定住した。米国にはアイルランドよりもアイルランド人が多く住んでおり、アイルランド系アメリカ人は、ニューカマーのアメリカ化に大きな役割を果たした。つまり、米国のアイデンティティは、民族グループ間の動的な関係や特定のグループ固有の歴史や伝統から生まれた。 新しい民族グループはアメリカの文化の主流に直接同化していませんでしたが、新しい文化の主流である移民が独自の経験を通して新しいスキルと習慣を学び、新しい生き方に慣れ親しんでいる段階的な文化変容プロセスがありました。 この形式のアメリカ化は、和解集団、夜間学校のクラス、企業のプログラムで発生した力と強制によって部分的に実行されたプロセスであり、そこではこれらの労働者階級の移民がWASPの値を学ぶよう迫られました。 「多民族のアメリカの都市を理解するための鍵は、ほとんどの移民が、このような正式なプログラムを通じて、通りや教会で多様な民族的背景を持つアイルランド人や他の経験豊富な労働者階級のアメリカ人との非公式の接触を通してよりも、彼らの新しい世界を理解するようになったということです。 、そして劇場。」 歴史家のジェームズバレットは、「労働運動、カトリック教会、および多くの労働者階級のコミュニティの政治組織の中で、アイルランド人は後のグループのアメリカ人として重要な地位を占めていた」と述べています。 米国への外国人移民の最初の日から現在のアメリカまで、移民のアメリカ化は非常に複雑な150年の段階的な文化変容のプロセスです。 アメリカ化は簡単でシンプルな一方向のプロセスであるという考えは不正確です。 この背後にある主な理由は、人々が自分の文化を保持する傾向があるためです。 「未熟練の仕事についてアフリカ系アメリカ人と競争し、彼ら自身が「白い黒人」と名付けられたアイルランド人は、他の移民グループと同様に、人種差別を自己定義の一部として支持した。 ヨーロッパ系アメリカ人はすぐに、この約束の地で起こり得る最悪の事態は「色付き」であり、このパリアの人口から可能な限り距離を置いていることを知った 19世紀後半までに、人種差別は本当に多くの労働者の世界観に根ざし、階級統一のプロセスを促進するために、新人移民に引き継がれました。
※この「アイルランド人」の解説は、「アメリカニゼーション (移民)」の解説の一部です。
「アイルランド人」を含む「アメリカニゼーション (移民)」の記事については、「アメリカニゼーション (移民)」の概要を参照ください。
アイルランド人
出典:『Wiktionary』 (2021/07/25 12:44 UTC 版)
名詞
類義語
翻訳
「アイルランド人」の例文・使い方・用例・文例
- その英国人とアイルランド人の混血の歌手はとても人気がある。
- おめーらアイルランド人は、みんな飲兵衛らしいじゃねーか。
- アイルランド人は答えた。
- アイルランド人.
- ニューヨークのアイルランド人人口.
- 彼の血統は父方がアイルランド人, 母方がスコットランド人だ.
- アイルランド人
- 挑発的なアイルランド人は回転する…聞き手がを踊るのを強制する−アンソニー・トロラプ
- アイルランド人はお世辞を好む
- アイルランド人の愛国者で、シンフェーン党の創設者(1865年−1953年)
- 有力なアイルランド人の作家で、彼の多くの革新(意識書くことの流れなどの)によって知られる(1882年−1941年)
- アイルランド人の作家(1932年生まれ)
- アイルランド人の劇作家(1880年−1964年)
- 原罪と運命の主義を否定して、人間の善良さと自由意思を防御した英国の、または、アイルランド人の僧
- アイルランド人の劇作家で、ダブリンの劇場のマネージャー(1886年−1958年)
- アイルランド人の運
- アイルランドの守護聖人を祝うためにアイルランド人によって祝われる日
- アイルランド人という人種
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