【エースパイロット】(えーすぱいろっと)
Ace pilot.
一般には、戦時において戦闘機に搭乗し、5機以上の敵性航空機を撃墜したエビエーターに与えられる称号。撃墜王。
また、多大な戦果を挙げた者もこう呼ばれることがある。
敵味方関係なく尊敬の対象になりうるが、近年では航空機の価格上昇に伴う機数の減少や航空戦の複雑化、そして国家間の全面戦争が殆ど無くなった事から、めったに現れない。
なお、アメリカ陸軍航空隊は1920年に「戦闘機以外のパイロットに対して差別的である」として、エースパイロットという称号を公式に認めない通達を出した。
これは現在のアメリカ空軍にも引き継がれており、アメリカ空軍では公式に「エースパイロット」と呼ばれる人物は存在しない。
また、イスラエル軍ではパイロット個人への報復を防ぐため、エースパイロットとなった人物が現れても、当人が退役するまで本名を公開していない。
超音速ジェット戦闘機のパイロットとしては史上最多の17撃墜を記録したギオラ・イプシュタインも、長らく「G中佐」と呼ばれていた。
最も多くの撃墜数を記録したのは第二次世界大戦中のルフトバッフェのパイロット、エーリッヒ・ハルトマンで、352機を撃墜した。
日本人最初のエースパイロットは滋野清武で、第一次世界大戦においてフランス陸軍航空隊の義勇兵(大尉)として参加、ドイツ軍機を6~7機を撃墜した。
なお、日本人パイロットの最多撃墜記録は岩本徹三海軍中尉の94機。
エースパイロットとなった人物の一例
エース・パイロット
エース・パイロット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/20 06:01 UTC 版)
日置郡中伊集院村にて陸軍砲兵大尉黒江敬吉の四男として生まれる。伊集院中学を経て、陸軍士官学校(第50期)予科入学。1937年10月1日航空分校に入学、1938年(昭和13年)6月卒業。同期には第10代航空幕僚長となる石川貫之がいる。航空兵少尉任官後、さらに明野陸軍飛行学校で戦技教育を受け、同年10月に卒業。同年11月、飛行第59戦隊(戦隊長:今川一策中佐)附として日中戦争(支那事変・日華事変)中の漢口飛行場に着任し、航法訓練、編隊飛行、単機戦闘、射撃訓練などの訓練を受けた。 1939年(昭和14年)ノモンハン事件の勃発により、8月29日に飛行第59戦隊は満蒙(現中国・モンゴル)国境の採塩所飛行場に移動する。黒江はソ連労農赤軍機を相手に初めて実戦を経験し、ノモンハン事件停戦の日9月15日の午前、ソ連領内タムスクの爆撃に参加しソ連機I-15を2機撃墜した。停戦後は漢口へ帰還し、広東、海南島近海、南寧奥地などを転戦した。 1941年(昭和16年)1月、陸軍航空士官学校教官として着任する。3月、大尉に進級。9月、陸軍航空審査部(部長今川一策大佐)に転任となり、審査部編成の独立飛行第47中隊(通称かわせみ部隊)に編入される。黒江は後に二式単座戦闘機「鍾馗」となる試作重戦闘機キ44を使用し、明野飛行学校や海軍の横須賀航空隊に出かけて戦技を磨き研究した。 同年12月太平洋戦争(大東亜戦争)開戦に向けて独立飛行第47中隊は南方戦線に移動する。翌1942年(昭和17年)1月から戦闘に参加し、1月15日シンガポール攻略で「鍾馗」による撃墜第1号の戦果をあげ戦闘を継続した。その後タイ、ビルマへ順次前進し、先輩の神保大尉や部下たちとともに戦った。4月、ドーリットル空襲を受け独立飛行第47中隊は内地へ移動。黒江は同中隊を離れ「加藤隼戦闘隊」の異名を持つ飛行第64戦隊へ転属となり、第3中隊長に任命された。
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エース・パイロット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 05:32 UTC 版)
以下は主に一式戦をもって戦果を挙げた主要エース。階級は原則最終階級を表記(戦死者は特進後最終階級)、部隊は主要部隊を軍隊符号で表記(FR飛行戦隊・Fcs独立飛行中隊)。 加藤建夫 - 少将・64FR・戦死 南郷茂男 - 中佐・59FR・戦死 尾崎中和 - 中佐・25FR・戦死 中村三郎 - 中佐・64FR・戦死 坂川敏雄 - 少佐・25FR・搭乗輸送機の墜落により事故死 安間克己 - 少佐・64FR・戦死 黒江保彦 - 少佐・64FR 檜與平 - 少佐・64FR 生井清 - 少佐・33FR 宮辺英夫 - 少佐・64FR 竹内正吾 - 少佐・64FR・三式戦の68FRにて戦死 上坊良太郎 - 大尉・33FR 小野崎熙 - 大尉・59FR 隅野五市 - 大尉・64FR・戦死 伊藤直之 - 大尉・64FR 四至本広之烝 - 大尉・11FR 中崎茂 - 大尉・50FR 細野勇 - 中尉・25FR 金井守吉 - 中尉・25FR 黒木為義 - 中尉・33FR 升澤政利 - 少尉・1FR 宗昇 - 少尉・50FR・四式戦の200FRにて戦死 新藤制雄 - 少尉・64FR 安田義人 - 准尉・64FR 清水一男 - 准尉・59FR 吉良勝秋 - 准尉・24FR 坪根康祐 - 准尉・64FR 山口文一 - 准尉・204FR 羽沢岩太郎 - 准尉・10Fcs/25FR・戦死 清野英治 - 准尉・10Fcs/25FR 大竹久四郎 - 准尉・10Fcs/25FR 大房養次郎 - 准尉・50FR 佐々木勇 - 准尉・50FR 広畑富男 - 准尉・59FR・戦死 小倉光雄 - 准尉・24FR 穴吹智 - 曹長・50FR 下川幸雄 - 曹長・50FR 五十嵐留作 - 曹長・50FR 渡辺美好 - 曹長・64FR・戦死 正野正 - 曹長・10Fcs/25FR・戦死 山本隆三 - 曹長・64FR・戦死 池沢十四三 - 軍曹・64FR
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