テオドール・ワイセンベルガー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/03 03:18 UTC 版)
テオドール・ヴァイセンベルガー Theodor Weissenberger |
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1944年のテオドール・ヴァイセンベルガー
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生誕 | 1914年12月21日![]() ![]() ![]() |
死没 | 1950年6月11日(35歳没)![]() ![]() |
所属組織 | ![]() 第77戦闘航空団(JG77) 第5戦闘航空団(JG5) 第7戦闘航空団(JG7) |
軍歴 | 1936年 - 1945年 |
最終階級 | ![]() |
テオドール・ヴァイセンベルガー(ドイツ語: Theodor Weissenberger, 1914年12月21日 - 1950年6月11日)は、第二次世界大戦時のドイツ空軍の軍人。最終階級は少佐(Major)。出撃回数375、撃墜数208機のエース・パイロットであり、騎士鉄十字勲章を受勲した。その戦果の多くはノルウェーやフィンランド、ロシア北部などの北方戦線であげられたものであったが、西部戦線でも33機を撃墜している。うち8機はメッサーシュミット Me262であげたものである。
入隊まで
1914年12月21日、ヴァイセンベルガーは植物園のオーナーの息子として、ドイツ帝国ヘッセン大公国のミュールハイム・アム・マインで生まれた。彼には空軍でパイロットとして働く兄のオットーがいた。1935年11月16日、ヴァイセンベルガーはドイツ航空協会のグライダーパイロットとして初飛行をした。1941年7月20日には645回目のグライダー飛行を記録し、累計の飛行時間は196時間46分であった。これらの飛行のほとんどはレーン山地やシレジア、バイエルンでグライダーのインストラクターとして記録されたものである。
1936年10月19日、ヴァイセンベルガーはデトモルトの第14飛行訓練隊の第2中隊(2./Flieger-Ersatz-Abteilung 14)に飛行訓練生としてドイツ空軍に入隊し、1940年12月1日に軍曹(Feldwebel)に昇進した。
第二次世界大戦
第二次世界大戦が始まってから2年が経過した1941年8月27日、ヴァイセンベルガーは前線部隊である第77戦闘航空団第I飛行隊に配属された。
固有名詞の分類
騎士鉄十字章受章者 |
山本五十六 エリッヒ・ヴァルター テオドール・ワイセンベルガー ゲオルク=ハンス・ラインハルト ヴィルヘルム・フォン・レープ |
ドイツ第三帝国の軍人 |
ヨーゼフ・プリラー ハラルド・ヴスト テオドール・ワイセンベルガー ヨーゼフ・アラーベルガー ハインリヒ・エールラー |
第二次世界大戦のエースパイロット |
ヨーゼフ・プリラー 吉田好雄 テオドール・ワイセンベルガー スタニスワフ・スカルスキ 篠原弘道 |
ドイツのパイロット |
ハリー・フォン・ビューロウ=ボートカンプ ヨーゼフ・プリラー テオドール・ワイセンベルガー ハイニ・ディットマー エドゥアルト・フォン・シュライヒ |
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