ハリー・フォン・ビューロウ=ボートカンプとは? わかりやすく解説

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ハリー・フォン・ビューロウ=ボートカンプ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/19 05:32 UTC 版)

Harry von Bülow-Bothkamp
1897年11月19日 - 1976年2月26日
生誕 ホルシュタインボーテカンプ
死没 西ドイツ ホルシュタイン
キルヒバーカウ
軍歴 1916-18年(ドイツ帝国 陸軍)
1935-45年(ドイツ空軍)
最終階級 (ドイツ帝国 陸軍)
大佐(ドイツ空軍)
勲章 ホーエンツォレルン家勲章
騎士鉄十字勲章
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ハリー・フォン・ビューロウ=ボーテカンプHarry von Bülow-Bothkamp1897年11月19日 - 1976年2月26日)は、歴史上でも数少ない2つの大戦の双方でエース・パイロットになった内の一人である。第一次世界大戦ドイツ帝国陸軍航空隊で6機撃墜を記録した後、第二次世界大戦ドイツ空軍で更に24機を撃墜した[1]ホーエンツォレルン家勲章騎士鉄十字勲章の叙勲者である。最終階級は空軍大佐、国家社会主義航空軍団大将

生涯

初期の履歴と第一次世界大戦

ハリー・フォン・ビューロウ=ボーテカンプはドイツ帝国シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州(Province)のボーテカンプ村にある一家の城で貴族の子として生まれた[2]。ハリーは1916年8月に飛行訓練を始める前の17歳のときに第18ザクセン・フザーレン連隊(Saxon Hussar Regiment No. 18)に入隊して軍務を始めた。1916年12月にハリーはドイツ帝国陸軍航空隊に異動し、第一次世界大戦で航空隊に従軍した3人兄弟(ヴァルターとコンラート:Conrad)の1人となった。ハリーは第53野戦飛行分遣隊(Feldflieger Abteilung 53:FFA 53)で砲兵部隊の砲撃観測用の複座機パイロットとして初飛行を行い、この部隊は第272飛行分遣隊(砲兵)(Flieger-Abteilung (Artillerie):FA 272 (A))となった。その後、ハリーは1918年1月6日に戦死する兄のヴァルターが指揮する第36戦闘飛行中隊(Jagdgstaffel 36:Jasta 36)に異動して戦闘機パイロットになった。

第36戦闘飛行中隊時代にハリー・フォン・ビューロウ=ボーテカンプは1917年10月12日エアコー DH.4機を、その後5機を撃墜した。最後の戦果は1918年7月21日の第73飛行隊(No. 73 Squadron)の飛行隊長R.N. フリーマン(R.N. Freeman)少佐であった。 ハリーの最も有名な撃墜記録は4機目の10機撃墜記録を持つ英国の第1飛行隊所属セシル・クラーク(Cecil Clark)大尉で、クラークは負傷し捕虜となった[3]

1918年8月25日にハリーは皇帝の命により軍務から放免された。長兄のフリードリヒ(Friedrich)は1914年に戦死し、コンラートはフィンランド空軍の飛行大隊の一部を指揮していた最中の1918年9月26日に航空機事故で死亡したためハリーは4人兄弟の最後の一人になった[4]

ハリーは従軍中にホーエンツォレルン家勲章鉄十字章を授与された[5]

戦間期

第一次世界大戦後、ビューロウ=ボーテカンプはアビトゥーア取得のためにギムナジウムに戻り、大学では農業を学んだ。パウル・ボイマー(Paul Bäumer)と共にハンブルク-フールスビュッテルで航空機製造のボイマー航空(Bäumer Aero)を設立したが、会社は世界恐慌のあおりを受けて倒産した。また1932年4月に国家社会主義ドイツ労働者党に入党している。

1935年にビューロウ=ボーテカンプは大尉の階級で新しく設立されたドイツ空軍に入隊した。翌年に少佐に昇進し、第II戦闘航空団(JG II)としても知られる初代の「リヒトホーフェン航空団」の指揮官に任命された[6]1939年にビューロウ=ボーテカンプはドイツ空軍の民間予備組織である国家社会主義航空軍団の総監に就任した[2]

第二次世界大戦とその後

第二次世界大戦の初期、1939年11月からビューロウ=ボーテカンプは第77戦闘航空団(JG 77)/第II飛行隊の飛行隊長となり、その後1940年4月第2戦闘航空団(JG 2)の戦闘航空団司令になった。1940年5月6月フランス侵攻期間中にこの部隊を率いたビューロウ=ボーテカンプは40歳を越えた年齢にもかかわらず作戦期間中に少なくとも12機の敵機を撃墜した。JG 2の指揮官としてのこの活躍によりビューロウ=ボーテカンプは中佐に昇進し、1940年8月22日には騎士鉄十字勲章を授与された。

1940年9月1日にビューロウ=ボーテカンプは第1夜間戦闘機学校(Nachtjagdschule 1)に配属され、この部隊が1943年11月に第101夜間戦闘航空団(Nachtjagdgeschwader 101:NJG 101)と改称されるまで指揮官の地位に留まった。ビューロウ=ボーテカンプは国家社会主義航空軍団に戻り大戦を終えた[7]

ハリー・フォン・ビューロウ=ボーテカンプは1976年2月26日に先祖伝来の城近くのキルヒバーカウ老衰のため死去し、兄弟と同じ墓に埋葬された。

受勲

関連項目

注釈

出典
参考文献
  • Fellgiebel, Walther-Peer (2000). Die Träger des Ritterkreuzes des Eisernen Kreuzes 1939-1945. Podzun-Pallas. ISBN 3-7909-0284-5.
  • Nauroth,Holger- Jagdgeschwader 2 "Richthofen", A Photographic History (ISBN 0764320947) - Schiffer Publishing, Atglen, PA, 2005
  • Ringlstetter,Herbert - Helmut Wick, An Illustrated Biography Of The Luftwaffe Ace And Commander Of Jagdgeschwader 2 During The Battle Of Britain (ISBN 0764322176) - Schiffer Publishing, Atglen, PA, 2005
  • Scherzer, Veit (2007). Ritterkreuzträger 1939–1945 Die Inhaber des Ritterkreuzes des Eisernen Kreuzes 1939 von Heer, Luftwaffe, Kriegsmarine, Waffen-SS, Volkssturm sowie mit Deutschland verbündeter Streitkräfte nach den Unterlagen des Bundesarchives (in German). Jena, Germany: Scherzers Miltaer-Verlag. ISBN 978-3-938845-17-2.

外部リンク

軍職
先代
ゲルト・フォン・マッソウ大佐
第2戦闘航空団 リヒトホーフェン 戦闘航空団司令
1940年4月1日 - 1940年9月2日
次代
ヴォルフガング・シェルマン少佐
先代
無し
南部ドイツ航空兵指導官
1943年2月 - 1943年6月
次代
第5戦闘機師団
先代
ヴァルター・シュヴァーベディッセン中将
第5戦闘機師団 師団長
1943年9月 - 1943年11月11日
次代
ヨアヒム=フリードリヒ・フート中将
先代
ヨーゼフ・プリラー大佐
第4航空兵指導官
1944年4月1日 - 1944年8月31日
次代
廃止




固有名詞の分類

第一次世界大戦期ドイツの軍人 ヘルマン・フォン・アイヒホルン  カール・フォン・ピュックラー=ブルクハウス  ハリー・フォン・ビューロウ=ボートカンプ  オットー・リーマン・フォン・ザンデルス  リヒャルト・ヒルデブラント
騎士鉄十字章受章者 アルフレート・ヴェンネンベルク  カスペル・スポルク  ハリー・フォン・ビューロウ=ボートカンプ  レオ・ガイヤー・フォン・シュヴェッペンブルク  山本五十六
ドイツ第三帝国の軍人 アルブレヒト・メルツ・フォン・クイルンハイム  カール・ハインツ・カイテル  ハリー・フォン・ビューロウ=ボートカンプ  クラウス・フォン・シュタウフェンベルク  ヨーゼフ・プリラー
第二次世界大戦のエースパイロット フランコ・ルッキーニ  小町定  ハリー・フォン・ビューロウ=ボートカンプ  坂井三郎  ヨーゼフ・プリラー
ドイツのパイロット ヨーゼフ・カムフーバー  ヴェルナー・シュトライプ  ハリー・フォン・ビューロウ=ボートカンプ  ヨーゼフ・プリラー  テオドール・ワイセンベルガー
ドイツの貴族 ゲルゾーン・フォン・ブライヒレーダー  ヘルマン・フォン・アイヒホルン  ハリー・フォン・ビューロウ=ボートカンプ  カール=ハインリヒ・フォン・シュテュルプナーゲル  ウード・フォン・ヴォイルシュ
第一次世界大戦のエースパイロット テオドール・オステルカンプ  ピョートル・ネステロフ  ハリー・フォン・ビューロウ=ボートカンプ  エドゥアルト・フォン・シュライヒ  シャルル・ナンジェッセ

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