夜間戦闘機とは? わかりやすく解説

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【夜間戦闘機】(やかんせんとうき)

かつて存在した戦闘機種別のひとつ。

第二次世界大戦から朝鮮戦争にかけて、夜間空爆仕掛けてくる爆撃機迎撃対応できるようにした迎撃戦闘機をこう呼んでいた。
対空レーダー搭載することから)昼間戦闘機比べる機体大型運動性能乏しく戦法一撃離脱が主であった

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Photo:MASDF

(Bf110)

関連昼間戦闘機


夜間戦闘機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/14 01:25 UTC 版)

アメリカ陸軍航空軍P-61

夜間戦闘機(やかんせんとうき、英語:Night fighter)とは、視界の悪い夜間に活動するための装備・能力を持った戦闘機のこと。略称は夜戦(やせん)。対義語は昼間戦闘機Day fighter)。

概要

ドイツ空軍(第4夜間戦闘航空団)のBf 110(1942年)

夜間戦闘機の発祥は、第二次世界大戦前に各国が開発した、双発複座護衛戦闘機である。爆撃機航続力の増大に伴い、従来の単発戦闘機では護衛機として随伴する事が不可能になり、代わってより大型で航続距離の長い双発複座戦闘機が開発された。しかしながら双発複座機は単発単座機に比して鈍重であり、とても対戦闘機戦闘をこなす事ができず、結局は各国の試みは失敗に終わった。バトル・オブ・ブリテンにおけるドイツ空軍Bf 110の失態が、顕著な例として挙げられる。その後、可変ピッチプロペラの実用化による低燃費化や増槽の採用などにより、単発戦闘機の航続力延伸が図られ、双発複座戦闘機は護衛戦闘機としての任務を外された。

そこで各国軍は、双発複座戦闘機を偵察機戦闘爆撃機などとして活用したが、特に有名なものが夜間戦闘機としての任務であった。爆撃機にとって昼間爆撃は敵戦闘機や高射砲の邀撃による被害が大きいため、時と場合によって精度の低下を甘受し夜間爆撃を行う場合が増加した。従来の単座戦闘機では夜間の迎撃は困難であり、それに代わって双発複座戦闘機が夜間迎撃任務に用いられるようになった。操縦士と通信士兼防御火器射手が役割分担している複座戦闘機の場合は、昼間に比べて視界が悪い夜間であっても照準がつけやすく、またその大柄の機体には大威力の航空機関砲無線機レーダーの搭載も容易であり、航続距離の長さは滞空時間の長さとなった。双発機の格闘戦能力では対単発戦闘機戦闘は困難であっても、対爆撃機戦闘では問題が無かった。

夜間戦闘機といっても用途は夜戦だけではなく、夜間での偵察・爆撃なども含まれることがある。偵察や爆撃は昼間戦闘機でも行う事があるが、双発で機体に余裕のある夜間戦闘機の場合はより他任務への転用が容易であった。上述の通り、発祥となった双発複座戦闘機は、夜間戦闘機に用いられる以前より偵察や爆撃任務に活用されている。夜間戦闘機による迎撃が行われるようになると、同じく夜間戦闘機による爆撃機護衛も行われるようになった。双発戦闘機は格闘戦能力で単発機に対抗する事は困難であったが、敵が同じ双発戦闘機であれば十分に対抗ができたからである。

日本海軍の「月光」。 天蓋の後方に突き出しているのが「斜銃」

夜間戦闘機には大きく分けて2つのタイプがあり、それぞれ「既存の機種を改造したもの」(Ju 88、Bf 110など)と「夜間戦闘機として新たに開発したもの」(He 219、P-61など)に分けることができる。上述の通り、初期の夜間戦闘機は、かつて失敗した双発複座護衛戦闘機の別任務への活用であったが、夜間戦闘機が普遍的なものになると、専任機が新たに開発されたのである。

対義語で、昼間を主として活動する戦闘機のことを「昼間戦闘機」という。しかしながら、必ずしも夜戦自体は夜間戦闘機・夜戦飛行部隊専任のものではなく、例として日本陸軍日本陸軍航空部隊)では一般の単座戦闘機にも夜戦のスキルが求められており(操縦者は夜間飛行をこなせてこそ一人前たる「技量」の認定を戴く)、「昼間戦闘機」・「夜間戦闘機」という区別は必ずしも当てはまるものではない。実際に日本陸軍航空部隊では、一般の単発単座戦闘機(一式戦闘機「隼」)を運用する一般の飛行部隊飛行第59戦隊)が、太平洋戦争開戦当月である1941年12月の時点でイギリス空軍爆撃機夜戦確実撃墜した戦果を記録するなど、数々の夜間戦闘任務を積極的に行っている。その一方で、日本海軍(日本海軍航空隊)では大半の単座戦闘機およびその操縦員には夜戦の技量が無く、また夜間任務自体が例外的なものであり、原則的に専用の夜間戦闘機・夜間飛行部隊が対処していた[1]

第二次大戦では広く活躍し、ジェット機時代に入ってしばらくの間も夜間戦闘機の区別があった。しかしながら戦闘機に搭載するレーダーを用いた火器管制装置が発達すると、夜間のみならず荒天下においても戦闘が行えるようになった。それら夜間・昼間・荒天下全てに適合した戦闘機は「全天候戦闘機」と呼ばれるようになり、やがてそれらが戦闘機を含む軍用機航空機)の標準機能となったため、夜間戦闘機という区別は消滅した。

特徴

機首に機上空対空レーダーのアンテナを搭載したドイツ空軍(第4夜間戦闘航空団)のBf 110(1944年)

夜間戦闘機の特徴としては例外もあるものの

  • 乗員が複数名
  • 強力な武装
  • 充実した通信設備や相応の航法能力
  • 黒・グレー・濃緑など、暗めの迷彩塗装
  • 機上レーダーの搭載

などがあげられる。また、日本陸海軍とドイツ空軍の一部の夜間戦闘機は、通常機体後上方に向けた防御火器が強力である爆撃機に対し、航空機関砲を多くは斜め上方(一部機体は斜め下方にも)に向けて装備し、併行して飛行しながら防御の薄い下側から連射を浴びせた。この搭載方式を日本では海軍が「斜銃」または「斜め銃」、陸軍が「上向き砲」、ドイツでは「シュレーゲムジーク」と呼ぶ。

主な夜間戦闘機

以下中には「昼間戦闘のみならず夜間戦闘にも用いられた機体」をも含む。

ドイツ

Me 262の複座の練習機型B-1a型にレーダー、電波ホーミング装置と武装を施して夜間戦闘機仕様としたドイツ空軍のMe 262B-1a/U1

日本

上向き砲2門を操縦者席と同乗者席の間に装備した日本陸軍の二式複戦「屠龍」丙型丁装備

アメリカ

中央部主翼下に増槽型レーダーユニットを搭載したアメリカ空軍のF-82F

イギリス

全天候戦闘機へと発展していったもの

下記の戦闘機は、当初は夜間戦闘機として開発されたものの、その後は全天候戦闘機に分類されている。

これ以降に開発されたジェット戦闘機は、開発当初から全天候戦闘機と呼ばれている。

脚注

  1. ^ 渡辺洋二 『液冷戦闘機「飛燕」 日独合体の銀翼』 文春文庫、2006年、p.416

関連項目


夜間戦闘機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/09 07:56 UTC 版)

メッサーシュミット Bf110」の記事における「夜間戦闘機」の解説

開戦直後から英空軍による散発的な夜間爆撃はあったが、1940年5月15日99機の英軍爆撃機ドイツ重工業地帯ルール地方対し本格的な夜間爆撃決行するゲーリング防空への自信内外喧伝していたが、開戦時ドイツ防空陣容88mm 高射砲2600門、37/20mm対空機関砲6700門、探照灯300であった本格化する英軍夜間爆撃対しドイツ空軍は夜間戦闘機の配備増強行なった。しかし、新規専用夜間戦闘機を開発してもすぐに間に合うはずもなく、現行の機体充てるしかなかった。 レーダー管制無線管制夜間航法などを伴う夜間戦闘当時単座戦闘機では困難で、通常は何名かの同乗者を必要とする。開戦時には探照灯聴音機頼り旧式機であるAr68Bf109旧型などがこの任務回されていたが、1939年末頃までにはドイツ空軍唯一持つ双発戦闘機Bf110が夜間戦闘機として転用されることとなり、本機以後、夜間戦闘機の主力となった。また本機双発ゆえに既に述べているが比較重武装が可能であり、また航続距離、すなわち滞空時間長いため上空待機追撃も容易で、夜間戦闘機としては、単発機には無い多く利点があった。また、戦闘機相手には運動性不足していたBf110であったが、爆撃機相手にする分には必要十分運動性持っており、問題とはならなかった。 しかしながら英空軍大戦後期にはボーファイターモスキート(本来は双発爆撃機有用な多用途機として夜間戦闘機型も運用された)で爆撃機編隊護衛し、これら敵夜間戦闘機との交戦考慮に入れる必要があり、特に1944年以降重大な脅威となった。さらに英空軍ドイツ空軍より進歩した機上レーダー・・・マイクロ波を利用し空気抵抗大きな巨大なアンテナ要せず機首内のパラボラアンテナ賄えるもの・・・を備えていた。そのためか英空軍夜間戦闘機との戦いでは、ドイツ空軍夜間戦闘機は苦戦強いられた1940年6月22日には本格的な夜間戦闘機部隊第1夜戦闘航空団が2個飛行隊規模発足。第I飛行隊は3個中編成(12×3 + 本部小隊4機)でBf110Cを装備、第II飛行隊同じくBf109D装備したもの。直後7月1日には戦闘航空団通常の3個飛行隊規模拡大従来の第II飛行隊は第III飛行隊となり、第II飛行隊新たに双発爆撃機重武装改造した夜間戦闘機、Ju88C-0/C-1/C-2型2個中隊およびDo17の夜間戦闘機型であるZ-7またはZ-6夜戦型、およびZ-10「カウツ」(Kauz, フクロウまたはミミズク後述するシュパナーを搭載していることからこの名称になった)に1個中隊に機種変更されている。さらに7月17日には、今後複数夜間戦闘航空団統括する可能性見越しヨーゼフ・カムフーバー大佐指揮官とし、その上組織となる夜間戦闘師団オランダのツィーゼに創設され機材調達等の円滑化のほか、探照灯レーダーなど地上施設などとの連携緊密に行えようになった。なお、航空団の初の戦果は恐らく7月9日、また初の夜間公認撃墜7月20日である。 とは言え当初利用されたC, D(D-1型を除く), E型は、機体黒く塗りつぶし消炎排気管採用した程度専用装備無かった。また本機の不足を補うため、Do17、Do215、Do217Ju88などの双発爆撃機が夜間戦闘機に改造され運用されることとなった。 なおドイツレーダー開発1934年から開始されており、開戦当時最大120km先の敵機判別できる基礎的な警戒レーダーフライアを実用化北海沿岸に8基を設置していたが、初期の頃英軍昼間爆撃選択していた。ただしこれは敵機の高度は判別できないのだった1940年に入るとドイツ新型迎撃レーダーヴュルツブルク」(ウルツブルグ)の量産開始、夏頃には本格的な配備始まっている。だが機上レーダー開発は遅れ(英国はこの点は進んでおり、開戦前に既に配備されていた)、当初ヴュルツブルク発見、または英軍爆撃機主要な経路前進配置した探照灯で敵の侵入補足し夜間戦闘機が攻撃これから逃れた敵機をさらに主要施設都市配備した探照灯と夜間戦闘機が攻撃すると言うかたち、「明る夜間戦闘であった。これはその後フライア1基とヴュルツブルク2基に指揮室等を組み合わせたヒンメルベットシステム発展し、敵爆撃機自軍夜間戦闘機の位置把握し地上から空中の夜間戦闘機を管制できるようになる。これはフライアが敵爆撃機発見しヴュルツブルク2基が敵爆撃機味方夜間戦闘機をそれぞれ補足し続け地上から無線誘導し会敵に導くものでもので、レーダーを3基も用いながら初期には各一機ずつ、その後にも2 - 3機の夜間戦闘機を誘導できるものでしかなかったが、探照灯無しでの夜間迎撃システム「暗い夜間戦闘」の嚆矢となった。ただしそれほど精度の高いものではなく最後接敵肉眼頼みであり、時として探照灯助けを必要とした 機上レーダー開発される以前1940年には赤外線暗視装置「シュパナー」を装備した。これには赤外線サーチライト併用するアクティブ型であるI型と、敵機排気炎や翼灯を感知するパッシヴ型であるII - IV型があり、主にDo17で、その他Bf110D/E型でも使用されたが、I型はさも望遠鏡のような形状視野狭く実用的でなく、II型敵機エンジン排気管消炎にすれば感知困難になるなど、戦果には寄与しなかった。 なお1940年9月にはJu88/Do17装備第1夜戦闘航空団II飛行隊第2夜戦闘航空団第I飛行隊へと編成替えし、航続力生かして本土夜間飛行攻撃充て、元の第1夜戦闘航空団II飛行隊にはBf110装備10月には新たにBf110基幹の1個飛行隊規模第3夜戦闘航空団設置。これは1941年11月までには3個飛行隊規模拡大する第2夜戦闘航空団へもBf110の1個中隊が配属された。この中半端な状態は翌1941年11月に2個中隊が増設され第II飛行隊として成立するまで続く。 おおよそこの時期にはBf110が夜間戦闘機の主力であり、生産され機体の6割が夜間戦闘機として用いられた。またDo17性能が低すぎ(夜間戦闘機型は11機で生産中止)、Ju88は数が少なすぎた。またBf110が最も優速でもあった。。 1941年初頭には195機の夜間戦闘機を保有していた。そしてイギリスから遅れること2年1941年7月ドイツテレフンケン社はついに対空機上レーダーFuG202リヒテンシュタインBC」を開発する探知距離は200 - 3500m、探知角度30度、周波数は490MHz、出力1.5キロワット外見上は、送信アンテナ受信アンテナが4本ずつ装備されアンテナ支柱機首から4本突きだしているかたちであり、アンテナ合計32本。 夜間戦闘機はこれを装備することにより、ヒンメルベット誘導された後の接敵容易になった。だがこのレーダーは距離・方位上下表示する3つの陰極線管(CRT)を注視しクルー解読するもので、読解及び操作は相当に高度な技術必要とされるものであった当初はDo215で実戦テストされ相応結果出したが、量産が成るのはまだ先のことであった。なお、渡辺 (2002)によれば1941年来襲した英空軍爆撃機述べ27000機強、うち損失1089機、夜間戦闘機隊の戦果421機である。またこの年Bf110874生産され、ほとんどが夜間戦闘機部隊回された。 1942年初頭には夜間戦闘機は約250機ないし367機が配備されていた。1942年にはさらに夜間戦闘機部隊の増強進み合計11飛行隊活動していた。うちJu88/Do17を装備し地中海で長距離夜間戦闘当たって居た第2夜戦闘航空団除いた全てが、Bf110装備していた。この時期にはシュパナーを搭載したBf110Eなども配備されていたが、本格的な夜間戦闘機型としてF-4型投入されたのもこの時期である。これは後期型ではリヒテンシュタインレーダー装備していた。なお年末までにはさらに合計で5個飛行隊増強されており、12月には5個航空団16飛行隊(うち2個飛行隊地中海)、375機という体制であった英軍夜間爆撃激化しており、5月から6月にかけては一晩に約1000機を動員した飽和爆撃が行われ、以降200 - 300機の大編隊による爆撃繰り返される1942年2月以降Bf110にも徐々に機上レーダーFuG202装備進んでいったが、前述した取り扱い難しさ加え重量増加と「有刺鉄線」と呼ばれた巨大な機首アンテナの装備により増した空気抵抗により速度低下し従来ヒンメルベット慣れた搭乗員には、当初はあまり好評でなかった。Bf110場合、40km/hまたはそれ以上速度低下した1942年ドイツ夜間戦闘機部隊戦果780機。うち691機(そのうち4機は昼間の撃墜)がドイツ本土方面戦果であった1943年7月までにはFuG202普及率80%に達し6月からは性能はほぼ同等ながら機内装備簡略化したFuG212「リヒテンシュタインC-1」の配備もはじまる。探知距離は200 - 3500m、周波数420 - 480MHz。野原 (2006a) によればアンテナ簡略化されている。 1943年初頭にはBf110310機、80機がJu8810機がDo217合計400機の夜間戦闘機が配属されていた。1943年初夏にはDB605B(1475馬力)を装備したBf110G-4が登場し以後主力の座を担う。本来2名だった乗員の間に割り込むかたちでレーダー手乗り込み3名となってしまい、機体内は身動きとれないほどであったという。G-4型1945年2月まで、1850機が生産された。各主翼懸吊された300リットル増槽(B2仕様)と機首の30mm機関砲(R3仕様)は標準装備に近い物であったらしい。なおこの頃からは長距離夜間戦闘専門だったJu88Do217通常の夜間戦闘部隊加わってくる。 また、武装としてシュレーゲ・ムジーク(斜銃)が採用されつつあった。一般的に爆撃機後方防御火力は強力であるが下面防御火力が低い。故にこの位置から攻撃かけたいが、上昇しながら通常の前方機銃攻撃してしまっては、十分な命中弾を与え前に離脱機動を取らねばならず、弾量・命中率共に不満である。ならば後下方を同航飛行し斜め上向けて装備した機関銃思う存分(実際には数秒であるが)撃ち込めば良いではないかと言うのがこの兵器コンセプトである。これは1942年秋 - 末頃から実験されており、1943年9月までに18機を撃墜したとの報告により制式化され、Bf110を含む多くの夜間戦闘機に装備された。ちなみに角度65 - 78程度。この兵器旧日本軍でも用いられていたが、それに比べてかなり垂直に近いものである。ベテランパイロットにはあまり評判良くなく、従来攻撃法好んだとする文献もある。 英軍1943年7月からウインドゥの使用開始する具体的にレーダー撹乱する金属片大量にばらまくと、それぞれ電波反射しレーダーにはまるで大編隊がそこにいるように見える。英軍場合両面錫箔貼った紙を使用した当初はヒンメルベットシステムを対象長さ27cm、幅2cmのものが用いられた。少数同士誘導すると言う特性ヒンメルベットはこれで無力化されてしまう。また機上レーダーFuG202もウインドゥの影響下にあり、接敵困難になった。このため従来の「明る夜戦」の発展形である「ヴィルデ・ザウ」(Wilde Sau) 戦法開発され英軍爆撃機対抗する。 それと同時に、ヴィクトール・フォン・ロスベルク大佐により、ツァーメ・ザウ(ザーメ・ザウ、Zahme Sau飼い慣らされ)という新戦術開発された。渡辺 (2002) によれば英軍爆撃機編隊出動関連する電波傍受し当日天候などを合わせて敵の爆撃目標推定し警戒レーダーにより実際に侵入察知した後は、索敵部隊が幅20 - 30km長さ200 - 300kmに及ぶ英爆撃機大編隊に接触し、その動向逐次司令部報告する。各夜間戦闘機部隊はその情報元に予め会敵予想空域敵編隊待ち伏せ目視敵編隊襲いかかるのである。また従来各夜間戦闘機隊はそれぞれ管区持っておりそれに拘束されていたが、この新戦法では数百機にもおよぶ敵爆撃機長大な帯を自由に襲撃でき、そして反復攻撃加え続けられるシステムとなった。なおこの場合ヒンメルベットシステムは、ただの警戒レーダー落ちぶれてしまう。この戦術1943年7月30日承認された。 これら新戦術は敵の爆撃目標推定すると言う要素存在するなどするため、例え攻撃側陽動や囮を用い余地があり迎撃戦果が司令部判断大きく依存してしまう嫌いがあるものの、従来のヒンメルベットシステムより効果的であったとされ、その効果のほどはすぐに現れた。英爆撃機隊は1943年8月17日ペーネミュンデ爆撃では597機中41機(6.8%)を、1943年8月23日から9月4日にかけての3回ベルリン空襲で計125機(7.5%)の爆撃機失った。この戦術終戦まで継続された。 1943年9月には新型機上レーダーFuG220「リヒテンシュタインSN-2」の量産開始され配備されはじめた。これは波長が3.3mと長いレーダーで、さらに周波数を37.5 - 118MHzまで3段階に切り替えられることから、英爆撃隊の使用するウインドゥの影響を受けにくかった最大探知距離も4000m、範囲左右120度、上下100度と、性能格段に向上している。ただし低周波用いたその代償としてアンテナ従来より大型化し、「鹿の角」と呼ばれるようなものとなった。 なお1944年には英軍機の装備しているH2S地形表示レーダーを100km先から探知するFuG350「ナクソスZ」、後方警戒レーダーモニカ」の電波探知するFuG227「フレンスブルク」も実用化され、アクティブパッシヴ両面での探知が可能となった。なお、1943年時点でのドイツ夜間戦闘機の配備機数は627機、稼働機数は421であったまた、地上の「ヴュルツブルク」にはドップラー効果応用し飛行し続ける敵爆撃機散布後はその場舞い散るだけのウインドゥを識別する「ヴュルツラウス」、および機体よりの反射波ウィンドウからの反射波の差を音で表す装置ニュルンベルク」が追加され、ウインドゥ対策としている。 Bf1101944年春にはドイツ空軍夜間戦闘機部隊の約6割を占め主力機であり、最盛期である1944年2月には630機、または1944年5月には580機が配備されていた。だが1944年長く夜間戦闘機の主力担ってきたBf110転機訪れる。主力の座をJu88奪われてしまうのである1943年生産数Bf110が789機、Ju88706であったが、1944年には1397機に対して2518機と、大きく逆転してしまったのだ。また実際部隊配備機数でも1944年7月にはJu88が674機、Bf110が558機と、逆転してしまっている。渡辺 (1980)は、FuG220の「鹿の角」を装備し重量空気抵抗増した上にその他電波装備シュレーゲ・ムジークまでも装備したBf110G-4d/R3は485km/hしか発揮し得ず、英爆撃機に対して優速ではなくなったことが主要な原因としている。ただし野原 (2009) によればG-4型速度は510km/hである。 その点大型Ju88速度低下度合い比較低く胴体の上下および後方警戒アンテナの装備さえも可能で(G-7型からは標準装備とされた)、さらにエンジンパワーアップ補いBf110より優速を保ち得たのである。Ju88G-1はBMW801エンジン(離昇出力1700馬力)を装備し胴体下面20mm機関砲を4門装備シュレーゲ・ムジーク装備可能で、高度6000mで520km/hを発揮できた。さらにG-6ではJumo213A(離昇出力1750馬力)を装備し野原 (2006a) では540km/h (6000m)を発揮したとされている。Ju88戦況の悪化による爆撃機型需要低下もあり2000機以上の生産を見る、Bf110G-4に代わる主力夜間戦闘機となった。 なお、最終的にBf110にもFFO社FuG218「ネプトゥーンV/R」が搭載されている。探知距離は120 - 5000mであり、波長157 - 187MHz。従来は4本独立していたアンテナが1本の支柱から分岐するかたちに改められたため、野原 (2006a) によれば空気抵抗低減したらしい。また、CRT表示カラー化され、読解が行いやすくもなっている。単座用のものと複座用のものがあり、Bf110には複座用のものが装備された。1945年には出力を2.5kWから20kWに増強し、さらに周波数可変域を拡げ、アンテナ小型化したFuG228「リヒテンシュタインSN-3」が開発されたが、完成品はただの10であった。 そして1944年以降連合軍による精油施設人造石油工場などの対す爆撃激化により、燃料事情急激に悪化する実戦もちろんのこと訓練回せ燃料少なくなり、さらに燃料単発戦闘機優先的に回され、さらに通信網レーダー破壊占領などの理由から、夜間戦闘機の活動低下一途辿った例え1945年2月13日のドレステン空襲には、わずか27機での迎撃か行えなかった。ただし機体増産自体は順調で、1944年12月には1355機と、予定配備機数以上が配備されていた。そのような状況下でも1945年2月21日夜にデュースブルク目標とする450機の敵重爆撃機129機が迎撃爆撃機護衛するモスキート妨害にもかかわらず、わずか4機の損失62機を撃墜する戦果挙げたことは特筆するに値するドイツ夜間戦闘機隊のトップ・エースはハインツ=ヴォルフガング・シュナウファー少佐で、夜間撃墜121機、うち114機が4発機である。彼は敵軍にもその名を知られ出撃基地の名から「サントロン幽霊」と渾名されたという。

※この「夜間戦闘機」の解説は、「メッサーシュミット Bf110」の解説の一部です。
「夜間戦闘機」を含む「メッサーシュミット Bf110」の記事については、「メッサーシュミット Bf110」の概要を参照ください。

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