【艦上攻撃機】(かんじょうこうげきき)
航空母艦から運用可能な攻撃機。
「艦攻」とも呼ばれる。
第二次世界大戦頃の艦上攻撃機は、航空魚雷を利用した対艦攻撃、若しくは艦上爆撃機よりも大量の爆弾を搭載して水平爆撃を担当していた。
操縦士に加えて通信士や射手も搭乗するため、複座、若しくは三座になっているのが普通であり、通信機能を利用して偵察機として転用されることも多かった。
機体が大型で、搭載する武装の重量もかさむため、航空母艦で他の機種と同時に発進する際は、滑走距離を稼ぐため、艦上戦闘機などよりも後ろに並べられて発進するようになっていた。
戦後は航空機のジェット化や爆撃照準のコンピュータ化が進み、対艦攻撃としては爆弾やロケット弾が主流となった。
同時に、偵察任務が複雑化したために偵察機として使用されることはなくなった。
更に1970年代ごろからは空対艦ミサイルが対艦攻撃の主流となった。
そして現在では、戦闘機のマルチロール化が進んで機種統合がなされていったため、艦上戦闘機との区別があいまいになりつつある。
関連:陸上攻撃機
艦上攻撃機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/12 02:40 UTC 版)

艦上攻撃機(かんじょうこうげきき)は、航空母艦(空母)に搭載して運用する攻撃機。アメリカ海軍の場合、従来の雷撃機と艦上爆撃機とを統合するかたちで1946年に制定した[1]。略して「艦攻」(かんこう)ともいう。
概要
元来、航空機による対水上戦は、航空機搭載爆弾による水平爆撃と航空魚雷による雷撃によって行われており、大日本帝国海軍ではこのための航空機を「攻撃機」と称した[2]。このうち、航空母艦の艦上で運用するものが「艦上攻撃機」である[2]。これに対し、陸上基地で運用するものは「陸上攻撃機」、また後に急降下爆撃が登場すると、これに対応した艦上機は「艦上爆撃機」(あるいは単に「爆撃機」)と称されるようになった[2]。
一方、アメリカ海軍では、雷撃を主とする機体を「雷撃・爆撃機」(Torpedo bomber, TB)、爆撃を主とする機体を「偵察・爆撃機」(Scout bomber, SB)として配備した[1]。しかし第二次世界大戦・中後期より発動機の強化などを背景に、これらを統合する動きが現れた。またロケット弾や誘導爆弾などの発達に伴い、航空魚雷が対艦兵器としての役割を終えて対潜兵器としての性格を強めていったこともあり、1946年には、アメリカ海軍は雷撃機という機能分類を廃止し、爆撃機とあわせて艦上攻撃機に統一した[1]。
空母に搭載できる機数は限定されるため、作戦の多様性を維持するためには、艦載機(艦上機)は出来るだけ1機種で多くの任務をこなせることが望ましい。上述の艦上攻撃機と艦上爆撃機の統一もその考えに沿うものだが、近年ではそれが艦上戦闘機と艦上攻撃機の統一にも及んでいる。今日空母攻撃部隊の殆どはアメリカ海軍の運用するもの(空母打撃群)だが、アメリカ海軍からは、A-6イントルーダーの退役後、専用の艦上攻撃機は消滅し、F/A-18ホーネット戦闘攻撃機ファミリーが艦上攻撃機の任務を引き継いでいる。
代表例
プロペラ機
魚雷攻撃を行うもの
魚雷攻撃・急降下爆撃兼用機
ジェット機
ジェット機になってからは、雷撃と急降下爆撃は廃れている。
脚注
注釈
出典
- ^ a b c 山内 1978.
- ^ a b c 乗りものニュース編集部 2024.
- ^ Polutov 2017, p. 124.
参考文献
- Polutov, Andrey V.「ソ連/ロシア空母建造史」『世界の艦船』第864号、海人社、2017年8月、NAID 40021269184。
- 乗りものニュース編集部「「どう見ても爆撃機…」一式陸攻はなぜ「陸上攻撃機」なのか 旧海軍独自の分類方法とは」『乗りものニュース』、メディア・ヴァーグ、2024年4月6日 。
- 山内秀樹「海軍機運用思想の歴史」『世界の艦船』第253号、海人社、70-75頁、1978年4月。doi:10.11501/3292042。
艦上攻撃機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 00:28 UTC 版)
潜水空母搭載の単発ジェット攻撃機。複座で主翼は折りたたみ式。99の雷撃前に1機だけ発艦した。翼下に水爆ミサイルを懸架している。進路上に戦闘機群を認めて目的であった東京爆撃を断念し、やけくそで99へ体当たりを敢行するが、モーゼル提督のスーパー100に撃墜された。
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