夜間戦闘機部隊の父
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「ヴォルフガング・ファルク」の記事における「夜間戦闘機部隊の父」の解説
ファルク少佐は1940年6月に最初の夜間戦闘専門部隊である第1夜間戦闘航空団(NJG 1)の指揮官となり、10月に騎士鉄十字章を受勲した。以後3年に渡りNJG 1の指揮を執りつつ、効果的な夜間戦闘機戦力を育てたヨーゼフ・カムフーバー将軍に協力した。 1943年7月にファルクは大佐に昇進し、空軍指揮幕僚監部(Luftwaffenführungsstab)のカムフーバーの代理として参謀本部へ異動した。その後ベルリンへ送り込まれ、中部航空司令部(Luftwaffenbefehlshaber Mitte)の本土防衛用昼夜間戦闘機隊総監に任命された。 ファルクは1944年6月からパンチェヴォに拠点を置く「バルカン戦闘航空兵指導官」(Jagdfliegerführer Balkan)に任命され、その後間もなく全ての空軍訓練学校を統括する航空兵訓練総監(General Flieger-Ausbildung)に就任した。 1945年3月にファルクはラインラントに駐留する戦闘機部隊の指揮を任せられたが、3月3日にバイエルン州でアメリカ軍の捕虜となったことでこの役割を果たすことはなかった。
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