夜間戦闘航空団
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「ヘルムート・レント」の記事における「夜間戦闘航空団」の解説
1940年6月ごろにはドイツ領空へのイギリス空軍爆撃コマンドの侵入は看過できない回数になっており、ヘルマン・ゲーリングが夜間戦闘部隊の組織を指示することになる。設立を命じられた将校は、第1駆逐航空団大隊長ウォルフガング・フラックであった。夜間戦闘部隊はその主軸に既存の隊を割り当てることで急速に整備された。1940年10月までに第1夜間戦闘航空団は3つの大隊をもったが、第2、第3の夜間戦闘部隊はいまだ組織中だった。この頃は、ヘルムート・レントが夜間戦闘部隊に配属されることに不満を持っていた時期であった。8月の終わりには「いま夜間戦闘に転属になるところだ。まったく気乗りがしない。すぐにでもイギリスへ向うんだろうけれど」とレントは書いている。 ドイツ南西のインゴルシュタットでレントは夜間戦闘訓練を修了した。新たに創設された第1夜間戦闘航空団第6飛行中隊長に任じられたのは1940年10月1日である。中隊はオランダのアーネムから北へ13キロほどのところにあるデーレン空軍基地を本拠とした。1941年5月11日の夜、レントはイギリス空軍第40飛行中隊に所属する2機のウェリントンIC爆撃機を夜間撃墜したと主張している。ハンブルクでのミッションだった。BL-H(serial number R1330)は1時40分にスーダーシュタペルで、BL-Zは2時49分にノルトシュトランドで撃ち落されたのだ。 1941年7月1日、彼はオランダ領レーワルデンに基地をもつ第1夜間戦闘航空団第4飛行中隊の指揮をとった。そこはアーネムから北へ161キロにあるフリースラント沿岸にあった。いわゆるドイツ湾であり、その立地から中隊は北海沿岸を警戒飛行し、またルフトバッフェが恐怖の攻撃と呼んでいたイギリスを主とした連合国側の夜間爆撃ミッションを防ぐこともできた。終戦まで、レントの中隊はドイツ空軍で最も優秀な夜間戦闘部隊であり続けた。他の隊員には、ヘルムート・ヴォルタースドルフ中尉、ルドウィグ・ベッカー少尉(撃墜数44、1943年2月に戦死)、エグモント・ツール・リッペ=ヴァイセンフェルト少尉(撃墜数51、1944年3月にオランダでの飛行事故により死亡)、レオポルド・フェレール(撃墜数41)、ポール・ギルドナー中尉(撃墜数46、1943年2月にオランダでの飛行事故により死亡)、ジークフリード・ネイ伍長(撃墜数12、1943年2月に戦死)がいた。1941年8月30日、レントは24機の撃墜(うち14が夜間)により騎士鉄十字勲章をえた。 1941年11月1日、レントは新たに組織された第2夜間戦闘航空団第2大隊の代理指揮をとる。大隊長として初めての撃墜は、彼のスコアを20にのばした。11月7日から8日かけての夜のことであり、それは彼にとって1941年最期の数字でもあった。ベルリンへ向っていたウェリントン1Cが、彼によってアックラム近郊で撃墜されたのだ。ニュージーランド空軍の6名の乗員が戦闘で命を落とした。この戦績によって、レントは「ヴェアマハト・レポート」(前線の戦況報告をしていたドイツ国防軍のラジオ放送)で言及されることになり(6度なされた)、司令部による軍報でも発表された。ヴェアマハト・レポートで個人名があげられることは名誉であり、当人の軍務記録にも栄誉および勲章という項にその事実が記載された。 1942年1月1日、彼は大尉へ昇進する。日をおいて6月6日には柏葉付騎士鉄十字勲章を受ける。これは彼の撃墜数が44機(うち夜間は34)にのぼったことによる。受勲は、6月28日と29日に総統大本営(FHQ)でおこなわれた。当日には彼の夜間撃墜数は39になっていた(総スコアは49)。1942年の終わりまでに、レントは56機を撃墜し、ドイツ空軍夜間戦闘部隊のトップ・エースとなっていた。1943年1月1日をもって少佐に昇格し、8月11日には第3夜間戦闘航空団長に任じられた。撃墜数が73(うち夜間は65とされた)となってのち、レントは柏葉・剣付騎士鉄十字勲章を受けた。またこれは8月4日にテレビ放映もされている。勲章への剣はラステンブルクの総統大本営で授与された。 1944年1月、レントは一晩のうちに3機のいわゆる「重爆撃機」にあたる4基のエンジンを備えた戦略爆撃機を撃墜する。しかし彼の乗る機体も反撃を受けて損壊があり、強制着陸を余儀なくされた。また1944年3月22日の夜の戦闘では、わずか22発の弾丸しか使用せずに2機の爆撃機を撃ち落し、6月15日には7分間で57発だけの射撃で3機のアヴロ・ランカスターを撃墜している。中佐へと昇格したレントは、柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字勲章を受けた。検証済みの撃墜数110に対するものであり、夜間戦闘においての受勲はレントの他にハインツ=ヴォルフガング・シュナウファーしかいない。
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