本拠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 15:00 UTC 版)
伊甚国造は夷隅川および一宮川流域を支配していたとみられ、長南町域には能満寺古墳や油殿一号墳といった4世紀代の大型前方後円墳があり、古墳時代前期における首長勢力の存在をうかがわせる。しかし5世紀以降は大型前方後円墳の築造は認められない。また、これらの古墳の築造者を伊甚国造とし、上総国一宮の玉前神社との関連があると見る説もある 。 『日本書紀』には、伊甚屯倉献上の記事があり、安閑天皇元年(534年)4月1日条によれば、内膳卿の膳臣大麻呂は伊甚国造に真珠の献納を命じたが、期限に遅れたため捕縛しようとしたところ、国造伊甚稚子は春日山田皇后の寝殿に逃げ隠れた。皇后は驚き失神したためより罪が重くなり、稚子は贖罪のため春日山田皇后に伊甚屯倉を献上し、これが後の夷灊郡であるという。{今わかちて郡とし」とあるので、広大な屯倉であり、その領域は夷灊郡のみならず、北の埴生郡や長柄郡にもおよんでいたと推定される。 この『日本書紀』の記述をそのまま信じるわけにはいかないが、後代の『日本三代実録』貞観9年(867年)4月20日条に夷灊郡の春日部直黒主売の名がみえるので、皇后のために屯倉が置かれたことは史実とみなされている。こうした屯倉の設置には、地方豪族の支配領域に直轄領を楔のように打込み、勢力を伸張させるヤマト王権のあり方をみることができる。6世紀には、春日山田皇后の外戚である和珥氏の一族武社国造も北東の九十九里浜中央に進出したとされ、『続日本後紀』承和2年(835年)3月16日条には、安閑天皇の他の妃宅媛の父物部木蓮子の弟(つまり宅媛の叔父)小事の功勳による匝瑳郡建郡に関する記事があり、古墳時代中後期のこの地域の首長勢力の衰退を反映している可能性がある。
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「本拠」の例文・使い方・用例・文例
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- 私たちは本拠地でのシーズン最終戦を楽しんだ
- Aの本拠地都市
- 我が社の本拠地は東京にある。
- パリに本拠を置く会社。
- 君は本拠はどこだ
- 英国は自由の本拠である
- 彼は新聞を本拠にかまえて政界に活動した
- 本拠地を離れて行われる試合
- 連邦区は、中央政府の本拠地として確保されている地域である
- 米国の国防省の本拠地として機能する5つの側面をもった政府の建物
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- プロ野球において,各球団が興行権をもつそれぞれの本拠地の球場
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- 野球で,チームの本拠地にある球場
- プロ野球において,自チームの本拠地で行う試合
- プロ野球で,相手チームの本拠地に出向いて行う試合
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- 日本シリーズの第4戦は埼玉県所沢市のライオンズの本拠地球場で行われた。
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