『日本書紀』の記述とは? わかりやすく解説

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『日本書紀』の記述

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 13:50 UTC 版)

武寧王」の記事における「『日本書紀』の記述」の解説

武寧王出生の話として雄略天皇5年461年)条に、百済加須利君蓋鹵王)が弟の昆支王倭国に貢る際、自身のすでに妊娠した婦を与えて途中で子が生まれれば送り返せ命じた一行筑紫の各羅嶋(かからのしま・加唐島)まで来たところ、一児生まれたので嶋君名付け百済送り返した。これが武寧王であるとしている。また、即位については武烈天皇4年502年)是歳条には百済末多王(牟大、東城王)が暴虐であったので、百済国人は王を殺し、嶋王を立てて武寧王としたとしている。 継体天皇6年512年)に、任那の上哆唎(オコシタリ、現在の全羅北道鎮安郡及び完州郡)・下哆唎(アロシタリ、忠清北道錦山郡及び論山市)・娑陀(サダ全羅南道求礼郡)・牟婁ムロ全羅北道鎮安郡竜潭面)の四県、7年513年)に己汶(コモン全羅北道南原市)・滞沙(タサ、慶尚南道河東郡)の地をそれぞれ倭国から百済譲渡した。これに応えて百済516年に、日本送っていた博士段楊爾代えて五経博士漢高安茂を貢上した

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『日本書紀』の記述

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 09:25 UTC 版)

両面宿儺」の記事における「『日本書紀』の記述」の解説

『日本書紀』仁徳天皇65年の条に両面宿儺登場する六十五年 飛騨國一人宿儺爲人 壹體有兩面 面各相背 頂合無項 各有手足 其有膝而無膕踵 力多以輕捷 左右佩劒 四手並用弓矢 是以 不随皇命 掠略人民爲樂 於是 遣和珥臣祖難波根子武振熊而誅之 (現代語訳六十五年、飛騨国にひとりの人がいた。宿儺という。一つ胴体二つの顔があり、それぞれ反対側を向いていた。頭頂合してうなじがなく、胴体それぞれに手足があり、膝はあるがひかがみと踵がなかった。力強く軽捷(けいしょう)で、左右に剣を帯び四つの手で二張り弓矢用いた。そこで皇命(すめらみこと)に従わず人民から略奪することを楽しんでいた。それゆえ和珥臣(わにうじ)の祖、難波根子武振熊(なにわのねこたけふるくま)を遣わしてこれを誅した。 両面宿儺は、計八本の手足に頭の前後両面に顔を持つという奇怪な姿で描写される神功皇后滅ぼされとされる羽白や、『日本書紀』風土記』にしばしば現れる土蜘蛛と同様、その異形は、王化に服さない勢力対す蔑視込めた形容とも考えられる仁徳紀の記述一般に大和王権勢力飛騨地方豪族接触した5世紀における征服事実反映とされている。しかし、飛騨地方において4世紀には既に三日町大塚古墳亀塚古墳などが築造されており、時期的に一度朝廷勢力圏組み込まれた後、何らかの反乱起こりそのとき服属過程を表すものと見たほうが良いとの指摘もある。また、ひかがみ」「かかと」が無いという描写から、脛当て着け足半草履状のつまがけ(爪皮つまがわ)を履いた飛騨山岳民が想像されることもある。

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