河東郡とは? わかりやすく解説

河東郡

読み方:カトウグン(katougun)

所在 北海道

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

河東郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/07 09:25 UTC 版)

北海道河東郡の位置(1.音更町 2.士幌町 3.上士幌町 4.鹿追町 薄黄:後に他郡に編入された区域)

河東郡(かとうぐん)は、北海道十勝国十勝総合振興局

人口58,256人、面積1,822.32km²、人口密度32人/km²。(2024年8月31日、住民基本台帳人口)

以下の4町を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記4町から音更町の一部(長流枝・長流枝幹線ほか概ね士幌川流域)、士幌町の一部(下居辺および概ね士幌川流域)、上士幌町の一部(概ね居辺東)[1]を除き、河西郡芽室町の一部(概ね十勝川以北)、上川郡清水町の一部(美蔓および御影の一部)を加えた区域にあたる。

歴史

郡発足までの沿革

江戸時代の河東郡域は、松前藩によって開かれたトカチ場所に含まれた。江戸時代後期、河東郡域は東蝦夷地に属していた。国防のため寛政11年河東郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり仙台藩が警固をおこない、同6年の6藩分領以降は仙台藩領となった。戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年大宝律令国郡里制を踏襲して河東郡が置かれた。

郡発足以降の沿革

北海道一・二級町村制施行時の河東郡の町村(14.音更村 青:合併を経ていない町村 水色:分立して現存する町村 24.川上村 25.上士幌村 26.鹿追村)
明治9年の大区小区
  • 第23大区
    • 6小区 : 音更村、然別村、東士狩村、西士狩村、美蔓村

行政

浦河郡外十郡長
釧路郡外十一郡長
釧路郡外十郡長
釧路郡外十二郡長
河西郡外五郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 吉田直太郎[2] 明治30年(1897年)7月 明治30年(1897年)11月5日 河西郡外五郡役所を廃し河西支庁を置く

脚注

  1. ^ いずれも相次ぐ町名変更のため、公開資料を用いての境界線の比定は難しい。
  2. ^ 千枝 1925, 14頁.

参考文献

関連項目




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「河東郡」の関連用語

1
100% |||||

2
100% |||||

3
100% |||||

4
100% |||||

5
100% |||||

6
100% |||||

7
100% |||||

8
100% |||||

9
100% |||||

10
100% |||||

河東郡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



河東郡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの河東郡 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS