駿府藩
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駿府藩(すんぷはん)は、駿府城(現在の静岡県静岡市葵区)を中心に静岡県の駿河・遠江・愛知県の三河・山梨県の甲斐の地域に江戸時代初期に存在した藩である。駿河府中藩もしくは府中藩とも呼ばれる。明治時代に再設置され、府藩県三治制により明治2年8月7日(1869年9月12日)に静岡藩(しずおかはん)となった。
注釈
出典
- ^ 和歌山県史 1990, p. 48.
- ^ 和歌山県史 1990, p. 49.
- ^ 和歌山県史 1990, pp. 49–50.
- ^ a b c 和歌山県史 1990, p. 50.
- ^ a b 和歌山県史 1990, p. 51.
- ^ 和歌山県史 1990, p. 52.
- ^ a b 和歌山県史 1990, p. 53.
静岡藩
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慶応4年(1868年)江戸開城があり、当初新政府に属して7月16日鎮台府附物産掛り、8月22日鎮将府附川島宗煓附属御製薬掛りとなったが、26日病気を理由に辞任し、徳川家の後を追って駿府に移った。 明治2年(1869年)以前駿府藩病院附(後勤番組附)御薬園掛となり、安倍郡北安東村42番地に住みながら義弟太郎次郎と駿府薬園、久能山薬園を管理した。
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