戊辰戦争前後と明治以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 08:06 UTC 版)
慶応4年(1868年)正月、歩兵奉行向井豊前守やシャノワンらと順動丸で大坂に行き、江戸の様子を知らせに大坂城に入る。そこはまさに徳川慶喜の大阪城脱出当日であり、この江戸退去に従う。慶応4年(1868年)2月12日、松平春嶽の意見を容れて、慶喜が江戸城を退去し、上野寛永寺大慈院に移る際に平岡道弘らと随行した。4月には、慶喜に随行して水戸に行き、徳川家達が静岡藩に移封されるとこれに従う。明治2年(1869年)8月、静岡藩権大参事となり、廃藩置県後、静岡県参事(県知事に相当する)となり、明治5年(1872年)7月、職を辞する。明治23年(1890年)から明治28年(1895年)まで公爵徳川家の家令を勤め、明治33年に没した。
※この「戊辰戦争前後と明治以後」の解説は、「浅野氏祐」の解説の一部です。
「戊辰戦争前後と明治以後」を含む「浅野氏祐」の記事については、「浅野氏祐」の概要を参照ください。
- 戊辰戦争前後と明治以後のページへのリンク