戊辰戦争後とは? わかりやすく解説

戊辰戦争後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:23 UTC 版)

松平太郎」の記事における「戊辰戦争後」の解説

6月7日五稜郭開城後、榎本らと東京護送され榎本大鳥らと同様、東京辰ノ口糾問所に禁固明治5年1872年)に釈放され明治政府開拓使御用係・開拓使五等出仕に任ぜられて箱館在勤命じられたが、翌年には辞したその後三潴県参事経てロシアウラジオストク外務省7等出仕して派遣されたが、ほどなく退職現地貿易商中国織物業などを営むが、商売人としての才能欠けいずれも失敗流浪日々を送る。晩年妻と子先立たれ、弟小六とともに榎本保護下で生活していたと言われている。 明治42年1909年)、伊豆賀茂郡湯本屋で病死死亡日は5月24日の他に2526日説がある。享年71

※この「戊辰戦争後」の解説は、「松平太郎」の解説の一部です。
「戊辰戦争後」を含む「松平太郎」の記事については、「松平太郎」の概要を参照ください。


戊辰戦争後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 04:46 UTC 版)

林忠崇」の記事における「戊辰戦争後」の解説

明治2年1869年)、旧家臣らの運動により、甥の忠弘が東京府士族300石)として家名復興認められる。しかし家禄はさらに35石に減らされその後秩禄処分によって収入が完全に断たれ困窮した生活を余儀なくされた。明治5年1872年1月に忠崇は赦免され旧領請西において石渡金四郎という人物の離れ借りて農民として生活する明治6年1873年12月東京府に十等属の下級役人として登用されるが、明治8年1875年)に東京府知事楠本正隆意見衝突したために辞職。そのため函館渡り、仲栄助商店北海道産物を各地輸送販売していた大店)で番頭務めるが、数年後破産し神奈川県座間寺院水上龍源寺住み込む明治13年1880年)より大阪府西区書記として勤務するこのように林家は旧諸侯にもかかわらず改易事情から華族礼遇与えられることはなかった。 明治26年1893年)、西郷隆盛朝敵扱い解かれたことに勇気づけられた旧藩士による再度家名復興嘆願認められ、忠弘が男爵授けられ華族列するその際分家していた忠崇も復籍して華族一員となり、翌年には従五位叙された。その後宮内省東宮職庶務課勤めるが、明治29年1896年)に病気のため辞職回復後明治32年1899年)からは日光東照宮神職として勤めるが、明治35年1902年)に家事(妻の病気か)のため辞職して帰郷大正4年1915年)、岡山県において、次女ミツ1886年生まれ)の嫁ぎ先である妹尾順平妹尾銀行頭取衆議院議員)の元で同居昭和10年1935年)にミツ妹尾離婚し、忠崇はミツ二人暮らしになった大正5年1916年)に忠弘が死去し爵位は忠弘の子の忠一が相続した昭和12年1937年)に旧広島藩主・浅野長勲死去した後、忠崇は生存する唯一最後の元大名となった晩年は娘と同居しながら悠々自適の生活を送り時には最後大名」として各取材を受けるなど幸福であった伝えられる太平洋戦争始まろうとする昭和16年1941年1月22日次女ミツ経営するアパートにて病死享年94(満92歳没)。死の直前辞世求められた際、「明治元年にやつた。今は無い」と答えたと言われる戊辰戦争時に降伏する際に詠んだ辞世の歌は『真心あるかなきかはほふり出す 腹の血しおの色にこそ知れ』。墓所港区愛宕青松寺

※この「戊辰戦争後」の解説は、「林忠崇」の解説の一部です。
「戊辰戦争後」を含む「林忠崇」の記事については、「林忠崇」の概要を参照ください。


戊辰戦争後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 14:13 UTC 版)

会津藩」の記事における「戊辰戦争後」の解説

容保の家系からは初代参議院議長松平恒雄雍仁親王妃勢津子父子福島県知事松平勇雄や、徳川宗家18当主徳川恒孝出ている。元白隊兵士の 山川健次郎戦後アメリカへの国費留学生選抜されイェール大学物理学学位取得して帰国している。帰国後に日本人として初の物理学教授になった後に東京帝国大学東京大学前身)に登用された。その後理科大学長・総長九州帝国大学九州大学前身初代総長私立明治専門学校九州工業大学前身総裁京都帝国大学京都大学前身総長旧制武蔵高等学校武蔵中学校・高等学校前身校長貴族院議員枢密顧問官歴任するなど重用された。

※この「戊辰戦争後」の解説は、「会津藩」の解説の一部です。
「戊辰戦争後」を含む「会津藩」の記事については、「会津藩」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「戊辰戦争後」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「戊辰戦争後」の関連用語

戊辰戦争後のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



戊辰戦争後のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの松平太郎 (改訂履歴)、林忠崇 (改訂履歴)、会津藩 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS