戊辰戦争終結から第二次大戦終結まで
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「日立市」の記事における「戊辰戦争終結から第二次大戦終結まで」の解説
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、多賀郡日立村・高鈴村(1925年より助川町)が発足。 1897年(明治30年)2月25日 - 日本鉄道の大甕駅と下孫駅(現在の常陸多賀駅)、助川駅(現在の日立駅)、川尻駅(現在の十王駅)が開業。 1905年(明治38年) - 久原房之助による日立鉱山(日立村内)の開発に伴い鉱山町として発展を始め、その従業員であった小平浪平が設立した日立製作所の規模拡大によって工業都市へと発展した。 1908年(明治41年)11月 - 日立鉱山専用電気鉄道が開業。 1914年(大正3年)12月 - 日立鉱山から排出される煙害対策として、大煙突が完成。 1928年(昭和3年)12月27日 - 常北電気鉄道(後の日立電鉄)が大甕〜久慈(後の久慈浜駅)間を開業。 1929年(昭和4年)7月3日 - 常北電気鉄道が久慈(後の久慈浜)〜常北太田駅間を開業。 1939年(昭和14年)9月1日 - 多賀郡日立町・助川町が合併し、日立市となった。(県内2番目) 1945年(昭和20年):艦砲射撃(7月17日)と日立空襲(6月10日と7月19日の2度)で被災。その被災規模は北関東でも上位であった。
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戊辰戦争終結から第二次大戦終結まで
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「飯舘村」の記事における「戊辰戦争終結から第二次大戦終結まで」の解説
1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日):廃藩置県により、現飯舘村は中村県に属した。 1872年1月9日(明治5年):中村県と平県が合併され、磐前県に属した。 1876年(明治9年)8月21日:磐前県・福島県・若松県が合併され、これ以後は福島県に属している。 1896年(明治29年):現飯舘村が属する行方郡・宇多郡が合併され、相馬郡となった。 1937年(昭和12年):相馬郡原町(現・南相馬市)の事業として新田川水系野手上川に風兼ダム(型式:アースダム、別名:野手上ダム、ダム湖名:野手上湖、所在地:飯曽村蕨平字風兼(現・飯舘村蕨平字風兼))が竣工。
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