日立電鉄
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日立電鉄株式会社(ひたちでんてつ)は、2005年3月31日まで茨城県において鉄道事業を行っていた日立製作所傘下の会社である。本社所在地は茨城県日立市幸町3丁目4番6号。
- ^ 日立電鉄交通サービス 会社案内、2015年9月24日のオリジナル (PDF) よりアーカイブ、2023年7月22日閲覧。
- ^ 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和18年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『人事興信録. 第8版(昭和3年)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
日立電鉄
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「西武モハ101形電車」の記事における「日立電鉄」の解説
クハ1101が1957年(昭和32年)1月に譲渡され、サハ1100形1101として導入された。譲渡に際しては塗装を変更し運転台を撤去した以外ほぼ手を加えられず運用された。しかし、全長10m未満の小型車で、かつ運転台を持たない純然たる付随車(トレーラー)であった同車は運用上難を来たしたため、晩年は半ば休車状態で久慈浜駅構内に留置されたのち、1973年(昭和48年)6月に廃車となった。
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日立電鉄
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1992年度・1993年度に銀座線で使用していた2000形を譲渡するにあたり、種車の車体・主制御器を流用し、一部機器は1500N形から流用して同社の2000形・2200形・3000形へと改造した。同車には本形式からはFS510形台車、パンタグラフ、主電動機、暖房装置、空気ブレーキ装置などの部品類が流用された。
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日立電鉄
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「小田原急行鉄道1形電車」の記事における「日立電鉄」の解説
1960年に小田急から4両が譲渡され、同社モハ1000形として使用された。 デハ1103は小田急時代から実質的に付随車として使用されていたが、譲渡の際正式に付随車サハ1501となり、他の車両は小田急時代の車両番号順にモハ1001・モハ1002・モハ1003となった。しかし、相模鉄道から同形車が3両譲渡される際に、モハ1004・モハ1005・モハ1006に改番され、相模鉄道からの車両が相模鉄道時代の番号のままモハ1001・モハ1002・モハ1003の番号で導入された。1960年代に譲り受けた車両は、車体更新により2段窓化が行なわれたため、車体に限っていえば原形とは大きく印象が変わるものになった。 1978年11月には相模鉄道からさらに3両が譲渡され、これで全18両の過半数が日立電鉄に集められたことになった。荷物電車に改造されていたが、座席を復旧し、荷物扉を片側閉鎖したのみでそのまま旅客車両として運用されていた一方、正面周りには原形の印象をとどめていた。 1991年から1993年にかけて、全車両が廃車となった。廃車後、2両が保存されている。モハ1006は茨城県水戸市内にて農業倉庫として、モハ1003は千葉県松戸市内の駄菓子屋の店舗として三分の二程にカットされて使用されている。
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