神職として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 02:39 UTC 版)
2000年4月、長男だった為、櫻田山神社38代目宮司である父親(2012年9月に死去)から宮司を継ぐはずだったが、神職になる事に反発し、高校卒業と同時に上京。神主の資格を取得出来る学校へは進学しなかった。 2008年に「オーラの泉」で江原啓之、美輪明宏に神社を継ぐように説得される。その後、神職になる決心がなかなかつかなかったが、2014年に神主の資格を取得することを決意する。 2009年4月12日に父親の主催で櫻田山神社で無料ライブを開催しアカペラ・ギャグ・撮影会などを行い、約4,000人の観客を集めた。7月、「サンドのぼんやり〜ぬTV」の番組内企画として、狩野と伊達みきお・富澤たけしの顔型をとった像「ミヤギケンタウルス」を制作。仙台パルコ前などを経て、2014年に櫻田山神社へと移送し、境内に置かれることとなった。 2011年3月の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で神社が被災。鳥居が倒れるなどの被害に見舞われ、翌日の昼過ぎに親と連絡が取れ、同年8月時点では、ほぼ復興したと報告した。また、東日本大震災を契機に兼ねてから考えていた実家の神社を弟とともに継ぐ意向を明かした。「老けてきた親を思うと準備することも親孝行」と「運が悪かったら、両親は亡くなっていたかもしれない」という胸の内を明かしている。 2014年夏、國學院大學において東京都神社庁主催の神職養成講習会を約1か月受講し、神社本庁「階位検定講習会に関する規程」の定める神職階位(直階)を取得。神職養成講習会にて、神職の資格を取得するに当たり、トレードマークだったロングヘアを断髪した。 2016年3月、神主の資格を取った際は、神職を務めている時には芸人のような言動はとらないようにしているほか、芸人としてテレビ出演している時も神社いじりは拒否し、年末年始は神社の仕事に集中しているため、新年番組には一切出演しない事を表明した。
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