蟄居に伴う後任宮司について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 00:08 UTC 版)
「山梔窩」の記事における「蟄居に伴う後任宮司について」の解説
第22代水天宮司真木保臣の嘉永の大獄による幽囚に伴い,真木家も謹慎処分となったが真木保臣蟄居後の8月に漸く赦された。二男時次郎主馬が23代目宮司の神職として藩に伺うものの何ら音沙汰もなかったとされたが,9月22日夜,真木保臣の甥の固太郎から時次郎主馬に襲職の命が下ったことを聞き安堵したとされる。 翌嘉永6年(年)3月29日京都卜部家で神道免許状を得,10月10日に有馬慶頼に初目見得を成した。初めて神職になった時次郎主馬は11月に密かに真木保臣の蟄居先である大鳥居家を訪れて神秘の法を授かった。真木保臣は時次郎主馬に対して懇々切々,過ちが無いよう念じていた。
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