美輪 明宏
芸名 | 美輪 明宏 |
芸名フリガナ | みわ あきひろ |
性別 | 男性 |
生年月日 | 1935/5/15 |
星座 | おうし座 |
干支 | 亥年 |
血液型 | A |
出身地 | 長崎県 |
URL | http://o-miwa.co.jp/ |
プロフィール | 小学校の頃から声楽を習い、国立音大付属高校を中退してプロの歌手として活動を始めた。クラシック・シャンソン・タンゴ・ラテン・ジャズを歌い、銀巴里やテレビに出演するようになり、1957年、『メケメケ』が大ヒット。ファッション革命と美貌で衝撃を与える。日本におけるシンガーソングライターの元祖として『ヨイトマケの唄』他多数の唄を作ってきた。84年フランス、87年再度フランス・スペイン・ドイツに招待されコンサート・ツアーを行う。ルモンド、リベラシオンを始め多数の新聞・雑誌に紹介・絶賛される。俳優としては、寺山修司の演劇実験室・天井桟敷の旗揚公演『青森県のせむし男』『毛皮のマリー』への参加・主演を機に、三島由紀夫に熱望され『黒蜥蜴』を上演、空前の大絶賛を受けた。深作欣二監督により映画化もされ、ニューヨーク・タイムズにも大々的に取り上げられ、ニューヨークやパリを始め世界的ヒットとなった。いまやその演技のみならず、演出・美術・照明・衣装・音楽など総合舞台人として、その活躍は常に耳目を集めている。 |
代表作品1 | 舞台『黒蜥蜴』 |
代表作品2 | 舞台『双頭の鷲』 |
代表作品3 | 舞台『愛の讃歌』 |
職種 | 音楽/俳優・女優・タレント/文化人 |
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美輪明宏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/26 00:15 UTC 版)
美輪 明宏(みわ あきひろ、1935年〈昭和10年〉5月15日[1] - )は、日本の歌手。俳優・演出家・タレント・声優・コメンテーター・ナレーターとしても活動している。
注釈
- ^ 2005年のNHKの番組『あの日 昭和20年の記憶』に被爆者の一人として、インタビューイとして出演した。1945年8月9日の被爆から6日後の同年8月15日に、カフェを営んでいる実家に戻ると店先に水を求めてきた瀕死の被爆者らが押し寄せて、一家総出で水を与えたと証言している。とりわけ女性の被爆者に水を与えたところ、幼い自分を拝んでその死んだ女性の姿に言及すると、涙ぐみ、「まさに地獄ですよ」と、語った。
- ^ 朝日新聞の『祈り ナガサキノート2』では「あの地獄のような光景が私の歌づくりの原点になっています」と語り(これは同書の帯に使用された)、赤子を抱えた母親の死体を見て、美輪の作品のテーマのひとつである「無償の愛」を知ったという。
- ^ 「衣装革命」と称し、着飾ったが、この前衛的な美輪の活動も、保守的であった世間からは冷遇され、「丸山明宏を芸能界から追放せよ」と言った内容の批判記事が、全国紙に掲載されたり、見知らぬ人から、石やビール瓶の蓋を投げ付けられた事もあった。
- ^ 『黒蜥蜴』の再演は93年以来1994年、1997年、2003年、2005年と続けられている。
- ^ 2002年11月に発売された桑田のベストアルバム『TOP OF THE POPS』には2000年11月30日 - 12月2日にパシフィコ横浜国立大ホールで行われたライブ「桑田佳祐が選ぶ20世紀ベストソング」からのライブテイクによる「ヨイトマケの唄」が収録されている。これ以降も槇原敬之や米良美一を始めとして、多くのアーティストによる優れたカバーが発表されている。長く放送自粛となっていた民放各局(NHKでは自粛対象ではなかった)で放送される機会も増え、美輪自身も2006年4月14日放送のテレビ東京『たけしの誰でもピカソ・祝400回スペシャル』内でこの曲の誕生秘話を語り、フルコーラスを歌っている。
- ^ ただし、1989年の『第40回NHK紅白歌合戦』に出場した聖飢魔IIのメンバーであるエース清水長官のプロフィール上の年齢は100027歳(当時)であり、プロフィール上の年齢も考慮した場合はそちらが史上最年長になる。
出典
- ^ a b “別紙 平成30年度名誉都民候補者”. 東京都 (2018年8月31日). 2021年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月19日閲覧。
- ^ “美輪明宏、初体験の相手は「先輩の男子」”. asagei. 2020年11月25日閲覧。
- ^ 讀賣新聞2015年8月9日「戦後70年あの夏9」美輪明宏
- ^ 「第二章 天上界の麗人 美輪明宏」(岡山 2016, pp. 55–94)
- ^ 美輪の著書『霊ナァンテコワクナイヨー』(2004年)にて、記述
- ^ 紅白:77歳・美輪明宏、歴代最高齢初出場「桃色組で出ます」2012年11月27日
- ^ “美輪明宏に養子がいた「事実です」”. nikkansports.com (2013年1月24日). 2013年3月12日閲覧。
- ^ a b “美輪明宏、初期の脳梗塞で2週間ほど入院 舞台公演も中止に”. ORICON NEWS (oricon ME). (2019年9月11日) 2019年9月12日閲覧。
- ^ “第73回日本放送協会放送文化賞・受賞者資料” (PDF). 日本放送協会 (2022年3月3日). 2022年4月5日閲覧。
- ^ DVD「ウルトラQ」第4巻ブックレットより
- ^ 福岡放送制作 日本テレビ系「新型テレビ」。
- ^ 西岡議長死去:評伝 「ミスター一徹」を悼む=岩見隆夫[リンク切れ] 毎日新聞 2011年11月6日閲覧
- ^ 月刊『薔薇族』編集長 伊藤文學の談話室より。
- ^ 伊藤文學のひとりごと。
- ^ 中居正広のキンスマ!波瀾万丈スペシャル! 2007年12月28日
- ^ 福島瑞穂ほか『出すぎた杭は打たれない 福島瑞穂対談集(シリーズ女の決断)』NTT出版, 1994年
- ^ 福島みずほツイッター、2013年11月16日23:54投稿 https://twitter.com/mizuhofukushima/status/401725063411412992
- ^ 2007年12月28日放送「中居正広の金スマ!波瀾万丈スペシャル」にて
- ^ 三輪明宏が「安倍首相も自民党に投票した人もまず自分が戦地に行きなさい」と一喝! LITERA,2015年7月14日、2020年9月12日閲覧
- ^ “ペリリュー島の戦いをつづるドキュメンタリー公開、ナレーションは美輪明宏”. 映画ナタリー. (2016年9月20日) 2016年9月20日閲覧。
- ^ “美輪明宏、子ども番組初登場 Eテレ『にほんごであそぼ』新キャラクターに”. ORICON STYLE (2016年1月27日). 2016年1月27日閲覧。
- ^ “没後50年 今夜はトコトン“三島由紀夫””. NHK (2021年1月10日). 2021年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年4月7日閲覧。
- ^ 最年長初出場歌手(当時77歳)
- ^ 最年長出場歌手記録更新(当時79歳、昨年までは藤山一郎が一位)
- ^ “もののけ姫”. 金曜ロードSHOW!. 2016年6月18日閲覧。
- ^ “ハウルの動く城”. 金曜ロードSHOW!. 2016年6月6日閲覧。
- ^ “メーテルリンクの青い鳥 チルチルミチルの冒険旅行”. メディア芸術データベース. 2023年1月9日閲覧。
- ^ “16年半の歴史に幕〜「愛と別れ」のお話”. TBSラジオ (2020年3月29日). 2020年3月29日閲覧。
- ^ “お正月は美輪明宏と「金色の時間」をご一緒に”. NHK. 2021年3月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月19日閲覧。
美輪明宏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:28 UTC 版)
歌手、俳優。「ブランスウィック」(『禁色』のモデルのゲイバー)でアルバイトしていた16歳の時、客として訪れた三島と出会い、シャンソン喫茶『銀巴里』で専属歌手となった時にも訪れた彼と親友として交流するようになった。「神武以来の美少年」とマスコミから注目され、三島も報道陣に「丸山君の美しさは、“天上界の美”ですよ」と讃辞を送った。美輪の自伝著作『紫の履歴書』(1968年)には三島が序文を寄せている。映画『永すぎた春』に歌手として初出演した。その後、戯曲『卒塔婆小町』『双頭の鷲』『黒蜥蜴』でも、三島戯曲特有の絢爛な台詞を「見事に肉体化し切る表現者として稀有な存在」として注目された。三島が自決の数日前に「山のように抱えきれないほどの薔薇の花束」を持って楽屋を訪れ、「君には感謝している」と言ったとされる。
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