宮崎駿とは?

宮崎駿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/20 00:27 UTC 版)

宮﨑 駿(みやざき はやお、1941年1月5日 - )は、日本映画監督アニメーター漫画家。別名として秋津 三朗(あきつ さぶろう)、照樹 務(てれこむ)がある。映画などのクレジットタイトルでは宮崎 駿(みやざき はやお)と表記されることもある。




注釈

  1. ^ a b c d 外部リンクに映像
  2. ^ 「政治経済学部」としている場合が多い。[要出典]
  3. ^ 会社が中島飛行機の下請けとして軍用機の部品を生産していたことが、軍事用兵器に対する相矛盾する感情を生むことになった。宮崎が回想した戦争体験としては、宇都宮が空襲を受け、親類の運転するトラックで4歳の駿を含む宮崎一家が避難した際、子供を抱えた近所の男性が「助けてください」と駆け寄ってきた。しかし、トラックは既に宮崎の家族でいっぱい。車はそのまま走り出した。その時に「乗せてあげて」と叫べなかった事が重い負い目となって、後々の人生や作品に大きく影響を与えた、と語っている[5]
  4. ^ 医者からは20歳まで生きられないと言われ、これは後の創作に影響を与えた、と言う[6]
  5. ^ この時期、何本かの社会主義革命の漫画を執筆して持込みをした事もあったが、「ウチは時代劇扱ってないんですけど」と編集者に門前払いされている[9]
  6. ^ 未来少年コナン#本作の影響を参照。
  7. ^ 漫画版『風の谷のナウシカ』は、アニメ公開後も断続的に描き継ぎ、アニメ公開10年後の1994年に完結。
  8. ^ 初のオリジナル長編映画だった『風の谷のナウシカ』製作中、宮崎が6歳の時から病気で寝たきりの母が亡くなり、非常に悔やんだと話している。この後、宮崎の作品には自身の母をモチーフにしたキャラクターが頻出するようになる[6]
  9. ^ 宮崎駿は1987年公開『紅い眼鏡』のパンフレットに自分が脚本で押井が監督するはずだったアニメ映画がつぶれてスケジュールが空いたときに二人で知床まで自動車旅行をした話、「押井さんについて」を寄稿している。
  10. ^ 映画公開後、鈴木敏夫に対し「72歳で死ぬことに決めた、あと5年なら一本しか作れない」と発言[20]
  11. ^ 石川文洋、呉屋守將、佐藤優、菅原文子、鳥越俊太郎、長濱徳松、宮城篤実らとの共同就任。[要出典]
  12. ^ 妻の朱美には著書『ゴローとケイスケ―お母さんの育児絵日記』がある。
  13. ^ 式の司会は大塚康生。[要出典]
  14. ^ 『天空の城ラピュタ』のムスカは例外。
  15. ^ 一応国ごとに動物が割り当てられており、ドイツ=豚、イギリス=犬(自ら手がけた『名探偵ホームズ』と同じデザイン)、アメリカ=ゴリラとなっている(ソ連にも豚を用いた例あり)。アジア人が登場する作品では動物化はされていない。
  16. ^ 一部の報道記事では「木村が自らジブリ側に連絡を入れて出演を志願した」としているものもある。
  17. ^ 「𦻙記」の読みは「せっき」。「𦻙」(草冠の旧字体の下に耳を二つ)は宮崎による「正史には残らずに耳から耳へ伝えられた物語」を意味する創作であり日本の漢字には存在しない。これに相当するものが台湾の漢字に存在し、UnicodeではU+26ED9(CJK統合漢字拡張B)に収録されている。「聶」(耳を三つ)は誤記あるいは代用表記。
  18. ^ 原話は、君島久子の書いたチベットの民話「犬になった王子」、岩波書店
  19. ^ 「ブラッカムの爆撃機」「チャス・マッギルの幽霊」「ぼくを作ったもの」の3編を収録に加え、宮崎の描き下ろしで「ウェストール幻想 タインマスへの旅 前・後編」(コマ漫画、カラー24頁分)を併収。
  20. ^ 1991年、映画宣伝用に自主的に作ったキャラクターを、球団創設70年にあたる2006年、ファンクラブ設立にあたり起用したもの。熱心な中日ファンとして知られるスタジオジブリプロデューサー・鈴木敏夫の橋渡しによって採用されることとなった。
  21. ^ a b c d これら「絵コンテ全集」の出版とは別に、『風の谷のナウシカ』についてはアニメージュ文庫にて、『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『魔女の宅急便』についてはロマンアルバムにて(いずれも徳間書店)、映画公開から程なくして出版されたものの、いずれも現在は絶版である。
  22. ^ 「崖の上のポニョ」の創作現場密着。
  23. ^ 「コクリコ坂から」の創作現場密着。
  24. ^ 「風立ちぬ」の創作現場密着。
  25. ^ 「毛虫のボロ」の創作現場密着。

出典

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  5. ^ 宮崎駿「アニメーション罷り通る」(大泉実成『宮崎駿の原点――母と子の物語』潮出版社、2002年、pp.24-28))
  6. ^ a b プロフェッショナル 仕事の流儀』2008年8月5日。
  7. ^ 宮崎 1996, p. 不明.
  8. ^ 『映画天空の城ラピュタGUIDE BOOK』 徳間書店〈ロマンアルバム〉、2010年12月、復刻版、142頁。ISBN 9784197203208
  9. ^ 『風の帰り道』(pp.251)[要文献特定詳細情報]
  10. ^ 「劇画の世界と、アニメーションの世界と、どちらが表現方法として優れているかというので、ずいぶん自分でも悩み続けて、結局、アニメーションの方が優れているという結論を、自分なりに出してしまったんです」(『THIS IS ANIMATION 1』小学館、1982年)[要文献特定詳細情報]
  11. ^ 「これほどのことがアニメーションでできるなら、いつか自分もやってみたい、アニメーターになっていてよかったと思って、はっきりと腰が座った」(『THIS IS ANIMATION 1』小学館、1982年)[要文献特定詳細情報]なお、実線を描かずに白で目を表現するという手法は、この作品の影響である。[要出典]
  12. ^ NHK-BS『BSアニメ夜話/未来少年コナン』(2005年6月27日放送)での大塚康生の証言。及び大塚康生 『作画汗まみれ』、2019年4月19日、増補改訂版、168頁。[要文献特定詳細情報]
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