中尾佐助とは? わかりやすく解説

中尾佐助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/17 10:23 UTC 版)

中尾 佐助
人物情報
生誕 (1916-08-16) 1916年8月16日
日本 愛知県豊川市
死没 1993年11月20日(1993-11-20)(77歳没)
日本 京都府京都市北区
出身校 京都帝国大学
学問
研究分野 植物学(遺伝育種学)
研究機関 大阪府立大学
学位 農学博士
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中尾 佐助(なかお さすけ、1916年8月16日 - 1993年11月20日)は、日本植物学者。専門は、遺伝育種学栽培植物学。ヒマラヤ山麓から中国西南部を経て西日本に至る「照葉樹林帯」における文化的共通性に着目した「照葉樹林文化論」を提唱した。大阪府立大学名誉教授。

経歴

出生から修学期

1916年、愛知県豊川市金屋町で生まれた[1]。1935年、第八高等学校理科甲類に入学。1938年3月に卒業し、翌1939年4月、京都帝国大学農学部に入学。1941年、同大学同学部農林生物学科卒業[2]

農学者として

同1943年、同大学理学部の応用植物学講座副手に採用された。応用植物学講座に所属し、研究に従事した。1942年2月、臨時召集を受けて陸軍中部62部隊に所属したが、同年5月に召集解除となり、財団法人木原生物学研究所に嘱託として勤務することとなった。1944年7月、蒙古聯合自治政府領・張家口西北研究所が設立されると、所員となった。しかしながら時局の悪化に伴い、1945年4月に再び臨時召集。陸軍15604部隊に属し、終戦を迎えた。同年10月に復員

太平洋戦争後

帰国後の1945年10月、財団法人木原生物学研究所副所員に就いた。1949年5月、京都大学農学部副手を辞職して浪速大学農学部講師に就任。大学では、遺伝育種学講座を担当した。1951年に同助教授、1961年に同教授に昇格。1962年、学位論文「Studies on the taxonomy, origins and transmittance of the crops in the Sino-Himalayan range」を京都大学に提出して農学博士学位を取得[3][4]

この間、1955年(昭和30年)5月から10月にかけて、木原均が組織した京都大学カラコルム・ヒンズークシ学術探検隊に参画。帰国後の1956年(昭和31年)4月23日、皇居で行われた探検隊植物班の合同進講に参加。「カラコルム氷河地帯の植生に就いて」と題した進講を行った[5]

1980年に大阪府立大学を定年退職し、名誉教授となった。その後は鹿児島大学教授となり、鹿児島大学南方地域総合研究センター長をつとめた。1982年、鹿児島大学を定年退職。

1993年に死去。墓は京都嵯峨野天龍寺にある。

受賞・栄典

研究内容・業績

京大在学中から、朝鮮北部、モンゴルネパールブータンインド北東部、ミクロネシアサハリンなどを探検し、植物分布などの学術調査を行った。1952年、日本山岳会のマナスル踏査隊に参加し、また1958年には日本人として初めてブータンを訪問し、単身踏査。ネパール・ヒマラヤの照葉樹林帯における植生や生態系を調査する中で、そこに生活する人々の文化要素に日本との共通点が多いことを発見、後に佐々木高明らとともに「照葉樹林文化論」を提唱するに至る。

指導学生

家族・親族

  • 夫人:稲垣和子

著作

著書
  • ニジェールからナイルへ 農業起源の旅』講談社 1969
    • 『農業起源をたずねる旅-ニジェールからナイルへ』岩波書店(同時代ライブラリー) 1993
  • 料理の起源』日本放送出版協会(NHKブックス) 1972
  • 『栽培植物の世界』中央公論社(自然選書) 1976
  • 『現代文明ふたつの源流 照葉樹林文化・硬葉樹林文化』朝日選書 1978
  • 『花と木の文化史』岩波新書、1986
  • 『分類の発想:思考のルールをつくる』朝日選書、1990
著作集
  • 『中尾佐助著作集』(全6巻) 北海道大学図書刊行会、2004-2006
  1. 1巻『農耕の起源と栽培植物』
  2. 2巻『料理の起源と食文化』
  3. 3巻『探検博物学
  4. 4巻『景観と花文化』
  5. 5巻『分類の発想』
  6. 6巻『照葉樹林文化論』
共編著
  • 『続・照葉樹林文化 東アジア文化の源流』上山春平佐々木高明共著、中公新書 1976
  • 『日本文化の系譜 対論3 上山春平』徳間書店 1982
  • 『ブータンの花:FLOWERS OF BHUTAN』西岡京治と共著、朝日新聞社 1984
  • 『照葉樹林文化と日本』佐々木高明と共著、くもん出版 1992
  • オーストロネシアの民族生物学 東南アジアから海の世界へ』秋道智彌共編、平凡社 1999

外部リンク

脚注

  1. ^ 年譜(中尾佐助先生について)
  2. ^ 『京都帝国大学一覧 昭和17年度』京都帝国大学、1943年、p.457
  3. ^ CiNii(学位論文)
  4. ^ 書誌事項(CiNii Dissertations)”. 国立情報学研究所. 2018年2月2日閲覧。
  5. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第十二』東京書籍、2017年3月28日、179頁。ISBN 978-4-487-74412-1 
  6. ^ 「秋の叙勲 受章者4492人 隠れた功労積み重ねた人にも光」『読売新聞』1989年11月3日朝刊

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アーシュラ・K・ル=グウィン「アーシュラ・K・ル=グウィン」および「ゲド戦記」も参照ファンタジーの要素が含まれた作品を作る上で『指輪物語』を厳しく批判する一方、アーシュラ・K・ル=グウィンの『ゲド戦記』からの影響をしばしば公言し、「シュナの旅」などの作品に現れている。1976年に翻訳版が出た直後から読み始めて以降、片時も手放さず、何時でも読める様に寝るときも枕元に『ゲド戦記』を置いていたという。後年にル=グウィンと面会した時には自分が今まで作ってきた作品には全て『ゲド戦記』から影響された部分があると語っている。サン=テグジュペリ「アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ」も参照フランスの作家、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの愛読者であり、とくに『人間の土地』を何度も読んでいる。様々な著名人が思い入れのある土地を旅するNHKの番組『世界・わが心の旅』の企画で宮崎は、サン=テグジュペリの時代の飛行機で航空郵便のパリからトゥールーズ、さらにスペイン経由でサン=テグジュペリが所長を務めたカップ・ジュピー飛行場跡まで訪れており、この中で「サン=テグジュペリに一番影響を受けている」と発言している。サン=テグジュペリが当時危険だった郵便機乗りとしての経験を通じ作品の中で「生命より尊いものがある」と断言したことなどに共感をしめしている。その時に描かれた絵がのちに新潮文庫の「夜間飛行」「人間の土地」の表紙に使用されているほか「人間の土地」の解説を書いている。中尾佐助「中尾佐助」および「照葉樹林文化論」も参照網野善彦「網野善彦」も参照『もののけ姫』には、従来の日本の中世史ではあまり語られてこなかった、たたら製鉄技術者集団、馬子運送業者、ハンセン病患者が登場し、女性が産業を担い発言権を持っている描写や、「天朝さまとはなんぞや。」と話す女性を登場させるなど、網野善彦の中世史観の影響が強く窺える。この作品については、網野自身も自著において「ずいぶん勉強した上でつくられている」と高く評価する。レフ・アタマーノフ
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