天野貞祐とは?

天野貞祐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/16 10:05 UTC 版)

天野 貞祐(あまの ていゆう、1884年9月30日 - 1980年3月6日)は、大正昭和期の日本の哲学者教育者文学博士京都帝国大学名誉教授甲南高等学校校長。第二次世界大戦後は第一高等学校校長・文部大臣第3次吉田内閣)を務めた後に獨逸学協会学校を母体として創立された獨協大学の初代学長を務めた。文化功労者武蔵野市名誉市民[1]




  1. ^ 武蔵野市名誉市民 (PDF)
  2. ^ これは、獨協学園に対してもいえることで、戦後の1947年に民主化政策に則して「独立協和」を略したものとする「独協」に校名表記を改めたが、6年後に保守的なOBらの反発で元に戻されることになった。この時、再改称に反対した少数派の中に校長の天野がいた。天野は古い戦前の日本には戻りえないこと、国家との過度のつながりが学校そのものの経営危機を招いた原因であることから、その再出発の証として「独協」の名称に拘っていたのである。そのため、再改称後も天野は「獨協」という字は用いず、終生「独協」と表記した。
  3. ^ しかも、東京大学側は一高の統合を画策し、天野の抵抗にも関わらず、1950年に統合されることとなる。
  4. ^ ただし、実際に作成したのは高坂正顕西谷啓治鈴木成高であり、天野はこれをまとめたに過ぎない。3名はいずれも西田幾多郎の系統をひく京都学派の中心的存在であったが、作成当時は公職追放中であったために極秘に執筆された事情があり、それが公表された場合の反響を考慮して、天野の単独著作の体裁を取ったとされている。
  5. ^ 天野は戦前の国家のみを重んじて個人の尊厳を踏みにじった軍国主義的な愛国心は強く否定したが、同時に戦後の個人のみを重んじて国家を省みない愛国心否定論に対しても強く反発した。天野は国家を自己存在の母胎と自覚して、自己の使命・理想に邁進させるのが愛国心の本来の役目であるとして、その代表的愛国者として内村鑑三・夏目漱石・西田幾多郎・福澤諭吉などを挙げている。なお、1950年には公立学校での日の丸君が代国旗国歌として掲揚および斉唱を最初に命じた天野通達を出している。
  6. ^ 文部大臣退任後の1953年に天野の個人名義で公刊された。『天野貞祐全集』第4巻、栗田出版会、1970年、所収。
  7. ^ 中野文庫 旧・勲一等旭日大綬章受章者一覧


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