岩下壮一とは? わかりやすく解説

いわした‐そういち〔いはしたサウイチ〕【岩下壮一】


いわしたそういち 【岩下壮一】


岩下壮一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/05 08:37 UTC 版)

岩下壮一
カトリック司祭
教会 カトリック教会
個人情報
別名 フランシスコ・ザベリオ(洗礼名)
出生 1889年9月18日
日本 東京府東京市麹町区
(現・東京都千代田区
死去 1940年12月3日 (52歳)
両親 岩下清周(父)
職業 哲学者・カトリック司祭
出身校 東京帝国大学
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岩下 壮一(いわした そういち、1889年9月18日 - 1940年12月3日)は、カトリック司祭哲学者大正から昭和初期の日本カトリック教会の精神的指導者と言われる。

経歴

父・岩下清周は、北浜銀行(破綻後は、三十四銀行三和銀行頭取箕面有馬電気軌道(現:阪急阪神ホールディングス)、大阪電気軌道(現:近畿日本鉄道)の元社長を務め、温情舎小学校(現・不二聖心女子学院中学校・高等学校)を設立[1]した聖公会信徒で、母・幽香子は華族出身でカトリック信者であり、末妹・亀代聖心会の最初の日本人修道女であった。

幼少の頃、関節炎を患い右足に障害を負い、1899年、暁星小学校に編入、中学校時代、カトリックの洗礼を受けた。洗礼名は「フランシスコ・ザベリオ」。代父は暁星の先輩で5歳年上の山本三郎(海軍少将山本信次郎の弟)で、彼は後に壮一の妹雅子と結婚[2]

1906年第一高等学校に入学、1909年東京帝国大学(現・東京大学)哲学科に入学、ラファエル・フォン・ケーベルに師事する。1912年に哲学科を最優秀で卒業(卒業論文は「アウグスティヌス之歴史哲学」(フランス語で執筆))、大学院に進学する[3]。大学院修了後の1915年に旧制第七高等学校造士館 (旧制)教授英語)となった[4]一高時代に戸塚文卿らと組織したカトリック研究会からは、日本最初の聖ヴィンセンシオ・ア・パウロ会フランス語版や、公教青年会(第二次)が生まれている。

第一次世界大戦の終戦後の1919年文部省派遣留学生として欧州に出発(ただし、帰国後に拘束されることを嫌い自費で留学)。パリ、ルーヴァンなどで哲学及び神学を学んだ。山本信次郎の紹介で会った「マテオ神父」(マテオ・クロウリー・ブーヴィ)から強い影響を受けたとされる。フランスの哲学者モーリス・ブロンデルや文学研究者アンリ・ブレモン英語版などと出会い、特にイギリスのカトリック思想家フリードリッヒ・フォン・ヒューゲル英語版とは深い親交を結んだ[5]。1921年にイギリスのウェストミンスター大司教区(カトリック)の神学校セント・エドマンド・カレッジ英語版に入った後、1922年にローマに移り、ドミニコ会神学大学アンジェリクム英語版などで神学を学んだ後、1925年ヴェネツィアでヴェネツィア総大司教ピエトロ・ラ・フォンテーヌ英語版によりカトリック司祭叙階されて帰国した[6]

青年たちに対する宣教司牧、学究、出版、ハンセン病患者の福祉などに尽力した。帰国直後に、東京の自宅でカトリックの出版や講座開設のためにカトリック研究社を設立し、聖フィリポ寮を開設した[7]。東京での活動のほか、父清周の創設した温情舎小学校の校長・理事長なども務めた。1930年にはハンセン病療養施設神山復生病院6代目院長に就任し、病院施設の近代化や医療体制の整備などに尽力した[8]1933年には聖フィリポ寮を信濃町に新築して、財団法人とした(これが現在の真生会館の始まり[9])。初代の寮監は吉満義彦が務めた(のちに作家遠藤周作が入寮していたことも知られている)[10]。またこの間、カトリックの雑誌『声』や『カトリック』『カトリック研究』などの編集や発行に携わった。1940年、神山復生病院院長を辞任し、興亜院の要請を受けて華北地方を視察するが、旅行中に発病し、帰国直後死去した。墓所はカトリック府中墓地(東京都府中市)内の東京大司教区司祭の共同墓地。ほかに、不二聖心女子学院中学校・高等学校内の岩下家の墓所にも墓碑があり、神山復生病院内の墓地にも分骨されている[11]

著書

  • 愛と理性と戦争 加持力教会と徴兵忌避事件 (カトリック研究社 1926年)
  • アウグスチヌス 神の国(岩波書店〈大思想文庫6〉 1935年、復刊1985年)
  • 信仰の遺産(岩波書店 1941年、復刊1982年)
  • 中世哲学思想史研究(岩波書店 1942年、復刊1969年・1993年ほか)。オンデマンド版2015年
  • カトリックの信仰(第2) 公教要理第1部解説 (ソフィア書院 1947年)、各・文庫判
  • カトリックの信仰(第3) 御托身 公教要理第1部解説(ソフィア書院 1947年)、同
  • カトリックの信仰(第4) 公教要理第1部解説(ソフィア書院 1948年)、同
    • カトリックの信仰 公教要理第1部解説(ソフィア書院 1949年)。合本
  • キリストに倣ひて (中央出版社 1948年)
  • 黙想の栞り(ソフィア書院 1950年)
  • 岩下壮一全集(第1・2・3巻) 神学入門(中央出版社 1961-64年)
  • 岩下壮一全集(第4巻) 信仰の遺産(改訂版)(中央出版社 1962年)
  • 岩下壮一全集(第5巻) 教父研究(中央出版社 1962年)
  • 岩下壮一全集(第6巻) 中世思想(中央出版社 1962年)
  • 岩下壮一全集(第7巻) 哲学論集(中央出版社 1962年)
  • 岩下壮一全集(第8巻) 救ライ五十年苦闘史(中央出版社 1962年)
  • 岩下壮一全集(第9巻) 随筆集(中央出版社 1962年)、別冊は下記
  • 岩下壮一 選集(全1巻、春秋社 1969年)
  • カトリックの信仰(稲垣良典校訂・解説、講談社学術文庫、1994年6月/ちくま学芸文庫、2015年7月)
  • 信仰の遺産(山本芳久校訂・稲垣良典解説、岩波文庫、2015年3月)

訳書

伝記研究

  • 小林珍雄 『岩下神父の生涯』(岩下壮一全集 別冊)(中央出版社 1961年/復刻:大空社 1988年)大空社
  • 重兼芳子 『闇をてらす足おと - 岩下壮一と神山復生病院物語』(春秋社 1986年、新版1999年)
  • モニック 原山 『キリストに倣いて - 岩下壮一神父永遠の面影』(学苑社 1991年)
  • モニック 原山 『続 キリストに倣いて - 岩下神父、マザー亀代子、シスター愛子の追憶』(学苑社 1993年)
  • 小坂井澄 『人間の分際 神父・岩下壮一』(聖母の騎士社・聖母文庫 1996年) ISBN 978-4-88216-141-7
  • 末永航「闘う神父 岩下壮一」- 『イタリア、旅する心 - 大正教養世代のみた都市と文化』(青弓社 2005年) ISBN 978-4-905497-30-1
  • 輪倉一広『司祭平服(スータン)と癩菌 - 岩下壮一の生涯と救癩思想』(吉田書店 2015年) ISBN 978-4-905497-30-1
  • 加藤和哉『岩下壮一留学交遊録(1)」『宗教と文化』40(聖心女子大学キリスト教文化研究所紀要 2024年)ISSN 0386-7005
  • 『岩下壮一留学日記(1)〜旅立ちからマルセイユまで〜(1919(大正8)年8月24日〜10月14日)』『宗教と文化』41(聖心女子大学キリスト教文化研究所紀要 2025年)


関連項目

  • 神山復生病院
  • ハンナ・リデル 岩下壮一とハンナ・リデルの交流、岩下壮一のハンナ・リデル観が記載されている。
  • 彼についての学位論文 著者 輪倉一広  題 救癩史の深層 : 岩下壮一の救癩思想研究 名古屋大学 平成19年3月23日 博士論文データベースによる。[12]

脚注

  1. ^ 学院の歴史 不二聖心女子学院 中学校・高等学校
  2. ^ 輪倉一広『司祭平服と癩菌 - 岩下壮一の生涯と救癩思想』p.3-5
  3. ^ 輪倉一広『司祭平服と癩菌 - 岩下壮一の生涯と救癩思想』p.20-24
  4. ^ 輪倉一広『司祭平服と癩菌 - 岩下壮一の生涯と救癩思想』p.36
  5. ^ 小林珍雄『岩下神父の生涯』p.110-113
  6. ^ 輪倉一広『司祭平服と癩菌 - 岩下壮一の生涯と救癩思想』p.47-48
  7. ^ 小林珍雄『岩下神父の生涯』p.167-168
  8. ^ 先覚者シリーズ 跡導(みちしるべ) ~静岡の福祉をつくった人々~ File06 岩下壮一氏 社会福祉法人 静岡県社会福祉協議会
  9. ^ メッセージ・理念 真生会館について 一般財団法人真生会館
  10. ^ 沼倉延幸『昔日の岩下壮一・吉満義彦・遠藤周作』p.28
  11. ^ 『神山復生病院120年の歩み』p.104
  12. ^ 博士論文データベースによる

外部リンク


岩下壮一

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ハンセン病に関連した人物」の記事における「岩下壮一」の解説

岩下壮一 (いわしたそういち1889年 - 1940年) カトリック司祭哲学者東京帝国大学(現・東京大学哲学科卒業後、欧米留学をしており、教授嘱望されたが、生涯カトリックの一司祭として司牧宣教学究ハンセン病患者福祉などに尽力した1930年 ハンセン病療養所神山復生病院6代目院長)。

※この「岩下壮一」の解説は、「ハンセン病に関連した人物」の解説の一部です。
「岩下壮一」を含む「ハンセン病に関連した人物」の記事については、「ハンセン病に関連した人物」の概要を参照ください。

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