欧州留学
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1927年(昭和2年)37歳の時に美術及び美術教育を研究する為にヨーロッパへ留学。 1928年(昭和3年)パリに渡り、画家アマン・ジャンに師事、さらにアカデミー・スカンジナビアでオットン・フリエスに師事する。留学中、世界的に権威のあるフランスの美術展サロン・ドートンヌに「L'hiver de Constantinople(コンスタンティノープルの冬)」を出品して入選し、注目を集める。また、サロン・デ・チュイルリーにも推薦されて出品する。 1929年(昭和4年)ルーブル美術館の絵画、コロー、ルーベンス、ピサネロ、ヴェラスケス等の作品を模写し研鑽を積む。その後パリからイギリス、ベルギー、オランダ、ドイツに渡り、各地の美術研究を行って帰国。
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欧州留学
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仁田は1928年から3年弱の期間フランス、オランダ、ドイツへ留学したが、この留学はその後の研究と教育のために、広く、深い"充電"の期間となった。当時欧州の物理学界ではErvin Schrodingerによる量子力学(当初は波動力学)の発展に沸きかえっていた。その中で、仁田はSchrodingerをはじめ、Heisenberg, Bohr、Debye、Bragg(W.L.)、Pauli、Ewald、Haberなど錚々たる第一線の研究者の講演を聞き、セミナーに参加し、あるいは面識をもったことから大きな刺激を受けた。留学期間中、X線スペクトルやX線のラマン効果などの実験的な研究も行ったが、同時に有機化学から出発してX線結晶学へ進んだ経歴に鑑みて、物理学的な基礎を固めることに力を注いだ。それが後年の大きな発展をもたらしたことは明らかである。
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