欧州王室との相違
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 16:45 UTC 版)
ヨーロッパでは、各王室及びそれに準じる貴族が婚姻を繰り返し、密接に血統が結びついている。適切な王位継承者が断絶した場合、女系を含む王家の血統に類する人物を君主として招聘することで王朝が交代している。 例えば、ポルトガルでは近世以降、次のような交代があった。 アヴィス王朝 前身のブルゴーニュ王朝から、庶子ジョアン1世が継承 ↓ ブラガンサ王朝 アヴィス朝が絶え、スペインと同君連合を形成していたが、アヴィス朝傍系で本家とも婚姻を重ねたブラガンサ家からジョアン4世が継承。 また英国では、中世のイングランド王国時代から複数回繰り返されている。以下は近世以降の王朝交代の例である。 ステュアート朝 テューダー朝の王位継承者が絶えたため、マーガレット・テューダーの曽孫であるジェームズが王位に就いた。 ↓ ハノーヴァー朝 ステュアート朝の王位継承者が絶えた際、宗教問題等から、ステュアート朝の血を受け継ぐ非カトリックの唯一の人物であるハノーファー選帝侯妃ゾフィ―の子孫に限定された(1701年王位継承法)。 ↓ ハノーヴァー・ザックス=コーバーグ朝(改名しウィンザー朝) ヴィクトリア女王がザクセン=コーブルク=ゴータ家のアルバート公子と婚姻し、次代エドワード7世以降複合姓となるも第1次世界大戦の影響で短期間で「ウィンザー」に改名された。 なお、エリザベス2世は、夫フィリップ・マウントバッテンとの複合姓にならないことが婚姻時点で取り決められている。 なお、こうしたイギリスとの比較は日本の国体における皇室を考える上では異質なものであるという意見もあり、例えば西尾幹二は『国民の歴史』の中で、「天皇とは血筋と神話がすべて」であると断言し、神武天皇から受け継がれているとされる男系の血筋やその神話が日本の皇室の存立にとっての最重要点であるとしている。 その他のヨーロッパの王室も日本の皇室とは歴史的背景等が異なるので同列には並べられないが、ここに相違点を以下に挙げる。 継承は男子のみ かつてヨーロッパの主要な国(ドイツ・フランスなど)では、王位を男系男子のみに継承させていた(男系女子を排除する点で日本と異なる)。これは、サリカ法典やその影響を受けた部族法などにおける男子のみ土地を相続するという規定が、後世に王位継承法として援用されたためである。ただし、ブリテン島、イベリア半島や東欧などで女系に依る相続や女王は男系男子がいない場合には許容されていた。欧州ではキリスト教が排斥対象から国教として普及したことで王室にもキリスト教の一夫一妻制が適応されるようになった後は、どの国でも歴史上、男系男子の断絶により女系の王族が即位し、新たに王朝を開くということがしばしばあった。そのため、考古学的に1500年は確実に系譜を辿り得る日本の皇室のような王朝は、約800年にもわたってフランスを統治し、現在もスペインを統治しているカペー朝の男系一族を例外として存在しない。 側室 キリスト教の影響で側室を認められていなかった。さらに王の妾の子供は私生児であるため、公式には王位継承権は存在しない。日本においては近代まで側室が認められており、叔父や甥まで含めると男系男子が多数存在しその維持に問題が存在しなかった。 結婚相手 ヨーロッパでは男系であれ女系であれ、代々王族同士(他国の王族ないしこれに準ずる有力貴族を含む)の間に生まれた嫡子のみに王位を継承させていた。王族の国際結婚が盛んで、父が他国の王族であっても血縁は繋がっていることが多かったため、女系による王朝交代が円滑に行なわれたのだとする説もある。しかし古来日本の皇室では、皇位を継承するためには父のみ皇族であればよく、臣民女子との間に生まれた子が即位した例はきわめて多い。このような例は貴賎結婚に極めて厳格だったヨーロッパの王室では、近代以前にはほぼ見られないことである。 女系継承者 20世紀後半に入ってから、ヨーロッパの君主国のほとんどが男系女子や女系(父は臣民でもよい)にも王位継承資格を与えるようになったが、このような改革の多くは「男女平等」をその理由とし、必ずしも男系男子の不足とは関係がない[要検証 – ノート]。
※この「欧州王室との相違」の解説は、「女系天皇」の解説の一部です。
「欧州王室との相違」を含む「女系天皇」の記事については、「女系天皇」の概要を参照ください。
- 欧州王室との相違のページへのリンク