ザクセン=コーブルク=ゴータ家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/10 03:43 UTC 版)
ザクセン=コーブルク=ゴータ家 Haus Sachsen-Coburg und Gotha |
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国 | ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
主家 | ザクセン=コーブルク=ザールフェルト家 |
創設 | 1826年 |
家祖 | エルンスト1世 |
現当主 | フーベルトゥス・ミヒャエル (ザクセン=コーブルク=ゴータ公家) |
民族 | ドイツ人 |
分家 | ザクセン=コーブルク=コハーリ家 ウィンザー家 |
著名な人物 | レオポルド2世 |
ザクセン=コーブルク=ゴータ家(ドイツ語: Haus Sachsen-Coburg und Gotha)は、ヴェッティン家(エルネスティン家)の分家で、ドイツ中部にあったザクセン=コーブルクおよびザクセン=ゴータの2つの領邦からなるザクセン=コーブルク=ゴータ公国の君主の家系である。
一族からは現在のベルギー王家(サクス=コブール=ゴータ家)、イギリス女王ヴィクトリアの夫アルバート(サクス=コバーグ=ゴータ家)、ポルトガル女王マリア2世の夫フェルナンド2世(ブラガンサ=コブルゴ家)、およびブルガリアの君主(サクスコブルゴツキ家)も出た。
家名
家名を各国語で表記すると次の通りである。
- ドイツ語: Sachsen-Coburg und Gotha (Sachsen-Coburg-Gotha)
- 英語: Saxe-Coburg and Gotha (Saxe-Coburg-Gotha)
- フランス語: Saxe-Cobourg et Gotha (Saxe-Cobourg-Gotha)
- オランダ語: Saksen-Coburg en Gotha (Saksen-Coburg-Gotha)
- ハンガリー語: Szász-Coburg és Gótha (Szász-Coburg-Gotha)
- ポルトガル語: Saxe-Coburgo e Gota (Saxe-Coburgo-Gota)
- ブルガリア語: Сакскобургготски
ザクセン=コーブルク=ゴータ家
ザクセン=コーブルク、ザクセン=ゴータの両公国はともにドイツ連邦に加盟し、ヴェッティン家エルネスティン系が統治する諸公国の一つであった。1825年、ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公フリードリヒ4世が男子の後継者なしに死去すると、エルネスティン系の同族たちはその所領を分配した。フリードリヒ4世の姪ルイーゼの夫だったザクセン=コーブルク=ザールフェルト公エルンストはザールフェルトに代わってゴータを獲得し、称号をザクセン=コーブルク=ゴータ公と改めた。こうして1826年、ザクセン=コーブルク=ゴータ公国は他の領邦に隔てられた2つの公国の同君連合として始まった。
1844年にエルンスト1世が死去すると、長男エルンスト2世が公位を継承した。1893年にエルンスト2世が子を得ずに死去すると、公位継承権は弟アルベルト(アルバート)とイギリス女王ヴィクトリア(母はエルンスト1世の妹ヴィクトリア)の長男であるイギリス皇太子アルバート・エドワード(後のエドワード7世)に渡ったが、アルバート・エドワードは次弟のエディンバラ公アルフレッドに継承権を譲った(アルフレート)。アルフレートは1900年に死去したが、唯一の男子アルフレートは前年に自殺していた。コノート公アーサー(アルバートの三男)とその息子アーサーが辞退したため、オールバニ公チャールズ・エドワード(アルバートの四男レオポルドの唯一の男子)が公位を継承した(ドイツ名カール・エドゥアルト)。
カール・エドゥアルトは第一次世界大戦中にドイツ陸軍の将軍として軍務に就いていたため、1919年に称号剥奪法に基づいてオールバニ公爵位を剥奪された。また、1919年にはイギリス王族としての身分もカール・エドゥアルトとその子孫から剥奪されている。一方、1918年11月18日にドイツ革命によってカール・エドゥアルトは公国を追放され、コーブルクとゴータは別個の州となり、1920年にはバイエルン自由州とテューリンゲン州に編入されて消滅した。
一方、イギリス王家はエドワード7世の子孫によって存続している。
また、エルンスト1世にはフェルディナント、レオポルトの2人の弟がいた。レオポルトは1831年に初代ベルギー国王に即位し(レオポルド1世)、現在のベルギー王家の祖となった。フェルディナントはハンガリーの名門貴族コハーリ家のマーリア・アントーニアと結婚して同家の後継者となった(コブルグ=コハーリ家)が、その長男フェルディナントは1836年にポルトガル女王マリア2世と結婚し(フェルナンド2世)、1910年に革命で王制が廃止されるまでポルトガル王家として続いた(ブラガンサ=コブルゴ家)。フェルナンド2世の次弟アウグストの末息子フェルディナントは、1887年にバッテンベルク家のアレクサンダル1世に代わってブルガリア公となり、1908年からは国王(ツァール)を称した(フェルディナンド1世)。ブルガリア王家はフェルディナンド1世の子孫によって継承され、共和制に移行する1946年まで続いた。
エルンスト1世の家系
ザクセン=コーブルク=ゴータ公家
- エルンスト1世(1826年 - 1844年)
- エルンスト2世(1844年 - 1893年)
- アルフレート(1893年 - 1900年、兼エディンバラ公)
- カール・エドゥアルト(1900年 - 1918年、兼オールバニ公)
ドイツ革命以降のザクセン=コーブルク=ゴータ公家
- カール・エドゥアルト(1918年 - 1954年)
- フリードリヒ・ヨシアス(1954年 - 1998年)
- アンドレアス(1998年 - 2025年 )
- フーベルトゥス・ミヒャエル(2025年 - )
イギリス王家(サクス=コバーグ=ゴータ家)
エルンスト1世の弟たちの家系
コブルグ=コハーリ侯家
ポルトガル王家(ブラガンサ=コブルゴ家)
ブルガリア王家(サクスコブルゴツキ家)
ベルギー王家
サクス=コブール=ゴータ家
ベルジック家(ベルヒエ家、ベルギエン家)
第一次世界大戦後の1920年、第一次大戦の敵国ドイツ由来のサクス=コブール=ゴータの名称に代わって、国名を家名として用いることを決めた。改称後の家名は、多言語国家であるベルギーの事情によりベルジック(フランス語: Belgique)、ベルヒエ(オランダ語: België)、ベルギエン(ドイツ語: Belgien)と三様に表記される。
- アルベール1世(1920年 - 1934年)
- レオポルド3世(1934年 - 1951年)
- ボードゥアン(1951年 - 1993年)
- アルベール2世(1993年 - 2013年)
- フィリップ(2013年 - )
2015年11月12日の王室勅令により、「ベルギー王子/王女」の称号を有する王族の対象が、王ならびに皇太子の孫世代までに狭められた[1]。これに伴い、「ベルギー王子/王女」の称号を有さない王族が用いる姓として、「サクス=コブール=ゴータ」という歴史的な家名が「サクス=コブール」に短縮されて復活した[1]。
系図
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フランツ コーブルク=ザールフェルト公 |
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アントイネッテ |
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エルンスト1世 コーブルク=ザールフェルト公 コーブルク=ゴータ公 |
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フェルディナント |
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ヴィクトリア ケント公爵夫人 |
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レオポルド1世 ベルギー王 |
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エルンスト2世 コーブルク=ゴータ公 |
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アルバート イギリス王配 |
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コーブルク=コハーリ家 |
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レオポルド2世 ベルギー王 |
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フィリップ フランドル伯爵 |
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カルロータ メキシコ皇后 |
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ヴィクトリア ドイツ皇后 |
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エドワード7世 イギリス王 |
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アルフレート コーブルク=ゴータ公 |
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アーサー コノート公爵 |
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レオポルド オールバニ公爵 |
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レオポルド ブラバント公爵 |
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ボードゥアン |
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アルベール1世 ベルギー王 |
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アルバート・ヴィクター クラレンス公爵 |
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ジョージ5世 イギリス王 |
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ルイーズ ファイフ公爵夫人 |
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アルフレート コーブルク=ゴータ公世子 |
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ウィンザー家 |
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アリス アスローン伯爵夫人 |
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カール・エドゥアルト コーブルク=ゴータ公 |
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レオポルド3世 ベルギー王 |
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シャルル フランドル伯爵 |
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マリーア・ジョゼ イタリア王妃 |
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ウィンザー朝に改称。 |
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ヨハン・レオポルト コーブルク=ゴータ公世子 |
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シビラ ヴェステルボッテン公爵夫人 |
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フリードリヒ・ヨシアス 公位請求者 |
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ジョゼフィーヌ=シャルロット ルクセンブルク大公妃 |
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ボードゥアン ベルギー王 |
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アルベール2世 ベルギー王 |
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エルンスト・レオポルト |
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アンドレアス 公位請求者 |
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アドリアン |
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フィリップ ベルギー王 |
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アストリッド オーストリア=エステ大公妃 |
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ロラン | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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フーベルトゥス |
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フーベルトゥス・ミヒャエル 公位請求者 |
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アレクサンダー |
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エリザベート ベルギー王太子 |
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ガブリエル |
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ニコラ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ゼバスティアン |
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カタリナ |
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フィリップ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
- ^ a b Martine Dubuisson (2017年5月4日). “La famille royale s’appelle à nouveau de Saxe-Cobourg”. ル・ソワール 2020年9月11日閲覧。
外部リンク
ザクセン=コーブルク=ゴータ家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 10:02 UTC 版)
「ザクセン=コーブルク=ゴータ家」の記事における「ザクセン=コーブルク=ゴータ家」の解説
「ザクセン=コーブルク=ゴータ公国」も参照 ザクセン=コーブルク、ザクセン=ゴータの両公国はともにドイツ連邦に加盟し、ヴェッティン家エルネスティン系が統治する諸公国(英語版)の一つであった。1825年、ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公フリードリヒ4世が男子の後継者なしに死去すると、エルネスティン系の同族たちはその所領を分配した。フリードリヒ4世の姪ルイーゼの夫だったザクセン=コーブルク=ザールフェルト公エルンストはザールフェルトに代わってゴータを獲得し、称号をザクセン=コーブルク=ゴータ公と改めた。こうして1826年、ザクセン=コーブルク=ゴータ公国は他の領邦に隔てられた2つの公国の同君連合として始まった。 1844年にエルンスト1世が死去すると、長男エルンスト2世が公位を継承した。1893年にエルンスト2世が子を得ずに死去すると、公位継承権は弟アルブレヒト(アルバート)の長男であるイギリス王太子アルバート・エドワード(後のエドワード7世)に渡ったが、アルバート・エドワードは次弟のエディンバラ公アルフレッドに継承権を譲った(アルフレート)。アルフレートは1900年に死去したが、唯一の男子アルフレートは前年に自殺していた。コノート公アーサー(アルバートの三男)とその息子アーサーが辞退したため、オールバニ公チャールズ・エドワード(アルバートの四男レオポルドの唯一の男子)が公位を継承した(ドイツ名カール・エドゥアルト)。 カール・エドゥアルトは第一次世界大戦中にドイツ陸軍の将軍として軍務に就いていたため、1919年に称号剥奪法に基づいてオールバニ公爵位を剥奪された。また、1919年にはイギリス王族としての身分もカール・エドゥアルトとその子孫から剥奪されている。一方、1918年11月18日にドイツ革命によってカール・エドゥアルトは公国を追放され、コーブルクとゴータは別個の州となり、1920年にはバイエルン自由州とテューリンゲン州に編入されて消滅した。 一方、イギリス王家はエドワード7世の子孫によって現在まで続いている。 また、エルンスト1世にはフェルディナント、レオポルトの2人の弟がいた。レオポルトは1831年に初代ベルギー国王に即位し(レオポルド1世)、現在のベルギー王家の祖となった。フェルディナントはハンガリーの名門貴族コハーリ家(英語版)のマーリア・アントーニアと結婚して同家の後継者となった(コブルグ=コハーリ家)が、その長男フェルディナントは1836年にポルトガル女王マリア2世と結婚し(フェルナンド2世)、1910年に革命で王制が廃止されるまでポルトガル王家として続いた(ブラガンサ=コブルゴ家)。フェルナンド2世の次弟アウグストの末息子フェルディナントは、1887年にバッテンベルク家のアレクサンダル1世に代わってブルガリア公となり、1908年からは国王(ツァール)を称した(フェルディナンド1世)。ブルガリア王家はフェルディナンド1世の子孫によって継承され、共和制に移行する1946年まで続いた。
※この「ザクセン=コーブルク=ゴータ家」の解説は、「ザクセン=コーブルク=ゴータ家」の解説の一部です。
「ザクセン=コーブルク=ゴータ家」を含む「ザクセン=コーブルク=ゴータ家」の記事については、「ザクセン=コーブルク=ゴータ家」の概要を参照ください。
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