フランツ (ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公)
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フランツ Franz |
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ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公 | |
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在位 | 1800年 - 1806年 |
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出生 | 1750年7月15日![]() ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公領、コーブルク |
死去 | 1806年12月9日(56歳没) ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公国、コーブルク |
埋葬 | ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公国、コーブルク、ホーフガルテン |
配偶者 | ゾフィー・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼン |
アウグステ・ロイス・ツー・エーベルスドルフ | |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ヴェッティン家エルンスト系 |
父親 | ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公エルンスト・フリードリヒ |
母親 | ゾフィー・アントイネッテ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル |
フランツ・フリードリヒ・アントン(Franz Friedrich Anton, 1750年7月15日 - 1806年12月9日)は、ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公(在位:1800年 - 1806年)。ベルギー、イギリス、ブルガリアの王家となったザクセン=コーブルク=ゴータ家の共通の祖である。
多くの子に恵まれ彼の血は本家に当たるイギリス、ベルギー、ブルガリアにとどまらずノルウェー王家、スウェーデン王家、デンマーク王家、スペイン王家、ポルトガル王家、ベルギー王家、ルクセンブルク大公家、旧ギリシャ王家、旧ルーマニア王家、旧イタリア王家、旧セルビア王家とヨーロッパの多くの王家に受け継がれた。
ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公エルンスト・フリードリヒと妃ゾフィー・アントイネッテの間の長男として生まれた。父の死により1800年に公位を継承し、6年後の1806年に死去した。
結婚と子女
1776年3月6日、ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公エルンスト・フリードリヒ3世カールの娘ゾフィーとヒルトブルクハウゼンで結婚したが、同年10月28日に死別した。
翌1777年、ロイス=エーベルスドルフ伯ハインリヒ24世の娘アウグステとエーベルスドルフで結婚した。2人の間には9子(死産を除く)が生まれた。
- ゾフィー・フリーデリケ・カロリーネ・ルイーゼ(1778年 - 1835年)
- アントイネッテ・エルネスティーネ・アマーリエ(1779年 - 1824年)
- ユリアーネ・ヘンリエッテ・ウルリケ(1781年 - 1860年) - ロシア大公コンスタンチン・パヴロヴィチと結婚。
- 男子(死産、1782年)
- エルンスト・アントン・カール・フリードリヒ(1784年 - 1844年) - ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公、後にザクセン=コーブルク=ゴータ公エルンスト1世。ヴィクトリア (イギリス女王)の夫(王配)アルバートの父。
- フェルディナント・ゲオルク・アウグスト(1785年 - 1851年) - ポルトガル王配フェルナンド2世の父、ブルガリア王フェルディナントの祖父。
- マリー・ルイーゼ・ヴィクトリア(1786年 - 1861年) - ライニンゲン侯カールと結婚、後にイギリス王子ケント公エドワードと結婚。イギリス女王ヴィクトリアの母。
- マリアンネ・シャルロッテ(1788年 - 1794年)
- レオポルト・ゲオルク・クリスティアン・フリードリヒ(1790年 - 1865年) - ベルギー国王レオポルド1世
- フランツ・マクシミリアン・ルートヴィヒ(1792年 - 1793年)
系譜
フランツ | 父: エルンスト・フリードリヒ |
祖父: フランツ・ヨシアス |
曽祖父: ヨハン・エルンスト (ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公) |
曽祖母: シャルロッテ・ヨハンナ(ヴァルデック=ヴィルドゥンゲン伯女) |
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祖母: アンナ・ゾフィア |
曽祖父: ルートヴィヒ・フリードリヒ1世 (シュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯) |
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曽祖母: アンナ・ゾフィア |
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母: ゾフィー・アントイネッテ[1] |
祖父: フェルディナント・アルブレヒト2世 (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公) |
曽祖父: フェルディナント・アルブレヒト1世 (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル=ベーヴェルン公) |
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曽祖母: クリスティーネ・ヴィルヘルミーネ(ヘッセン・エシュヴェーゲ方伯女) |
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祖母: アントイネッテ・アマーリエ[2] |
曽祖父: ルートヴィヒ・ルドルフ (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公) |
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曽祖母: クリスティーネ・ルイーゼ(エッティンゲン候女) |
[1]の次兄アントン・ウルリヒは、ロシア女帝の後継者と見なされていたアンナ・レオポルドヴナと結婚。ロシア皇帝イヴァン6世の父。長姉エリーザベト・クリスティーネは、プロイセン王フリードリヒ2世妃であり、三姉ルイーゼ・アマーリエはプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世の母となった。末妹ユリアーネ・マリーはデンマーク・ノルウェー王フレデリク5世妃。
[2]の長姉エリーザベト・クリスティーネは、神聖ローマ皇帝カール6世の皇后であり、マリア・テレジアの母である。
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「フランツ (ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公)」の例文・使い方・用例・文例
- 1859年の戦いで、ナポレオン3世率いるフランスとサルデーニャ軍がフランツ・ヨーゼフ1世率いるオーストリア軍を破った
- フランツ・カフカや彼の作品に関連する、もしくはフランツ・カフカや彼の作品のように
- マックスとレオは,フランツ・リーブキン(ウィル・フェレル)によるひどい内容のミュージカル脚本「春の日のヒトラー」を探しあてる。
- フランツはまた,主役のヒトラー役にも選ばれる。
- 日本にいたころの千秋の師であるフランツ・フォン・シュトレーゼマン(竹中直(なお)人(と))はかつて若いころにそのオーケストラを指揮していた。
- ちょうどそのころ,のだめはフランツ・フォン・シュトレーゼマン(竹中直(なお)人(と))からチェコ・プラハでのコンサートで演奏してほしいとオファーを受ける。
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