エルネスティン家
エルネスティン家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/10 04:48 UTC 版)
「ザクセン=コーブルク」の記事における「エルネスティン家」の解説
1347年にヘンネベルク=シュレージンゲン伯ハインリヒ8世が亡くなったとき、ヘンネベルク=シュレージンゲン家の所領は未亡人ユッタ・フォン・ブランデンブルクとハインリヒ8世の弟ヨハンの間で分割された。6年後にユッタが亡くなると、その遺領はさらに3人の娘に相続された。このうち、2番目の娘カタリーナ・フォン・ヘンネベルクが南東部のコーブルクを相続した。 カタリーナ・フォン・ヘンネベルクの夫でヴェッティン家のマイセン辺境伯フリードリヒ3世は、1346年に結婚した際に嫁資としてコーブルクを要求した。これは義父ハインリヒ8世から強く反対されたものの、1353年にユッタが亡くなってカタリーナがコーブルクを相続したことで手に入れることができた。こうしてコーブルクはザクセン最南部の領土となった。1485年にザクセン選帝侯領がザクセン選帝侯エルンストとザクセン公アルブレヒト3世の間で分割(ドイツ語版)された際、コーブルクはテューリンゲン方伯領の一部としてエルンストの所領となり、以降エルネスティン家に受け継がれていった。
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