エルンスト1世_(ザクセン=アルテンブルク公)とは? わかりやすく解説

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エルンスト1世 (ザクセン=アルテンブルク公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/27 14:34 UTC 版)

エルンスト1世
Ernst I
ザクセン=アルテンブルク公
1870年頃
在位 1853年 - 1908年

全名
出生 (1826-09-16) 1826年9月16日
ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公国、ヒルトブルクハウゼン
死去 (1908-02-07) 1908年2月7日(81歳没)
ドイツ帝国
ザクセン=アルテンブルク公国アルテンブルク
配偶者 アグネス・フォン・アンハルト=デッサウ
子女 マリー
ゲオルク
家名 ヴェッティン家エルンスト系
父親 ザクセン=アルテンブルク公ゲオルク
母親 マリー・ツー・メクレンブルク=シュヴェリーン
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エルンスト1世Ernst I., 1826年9月16日 - 1908年2月7日)は、ザクセン=アルテンブルク公国(在位:1853年 - 1908年)。ザクセン=アルテンブルク公ゲオルクの長男。

生涯

エルンスト1世は1826年9月16日ゲオルクとその妃であったメクレンブルク=シュヴェリーン大公パウル・フリードリヒの妹マリー英語版(1803年 - 1862年)の間に第一子としてヒルトブルクハウゼン英語版(現テューリンゲン州ヒルトブルクハウゼン郡)で生まれた。全名はエルンスト・フリードリヒ・パウル・ゲオルク・ニコラウス(Ernst Friedrich Paul Georg Nikolaus)。

1853年4月28日アンハルトレオポルト4世の娘アグネス英語版(1824年 - 1897年)とデッサウで結婚し、同年8月3日に父が死去したため公位に即いた。妃アグネスとの間には2人の子どもをもうけている。

エルンスト1世は1862年プロイセン王国との間に軍事同盟を結び、1867年には北ドイツ連邦に加盟した。1870年に勃発した普仏戦争ではプロイセン側について参戦し、翌年ドイツ帝国が成立すると皇帝ヴィルヘルム1世に忠誠を誓っている。

1908年2月7日、エルンスト1世はアルテンブルク(現テューリンゲン州アルテンブルガー・ラント郡)にて死去し、甥のエルンスト2世が公位を嗣いだ。

子女

妻のアグネスとの間には、以下の一男一女をもうけた。

系譜

外部リンク

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先代
ゲオルク
ザクセン=アルテンブルク公
1853 - 1908
次代
エルンスト2世



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