ヨハン・ヴィルヘルム_(ザクセン=ヴァイマル公)とは? わかりやすく解説

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ヨハン・ヴィルヘルム (ザクセン=ヴァイマル公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/21 16:32 UTC 版)

ヨハン・ヴィルヘルム
Johann Wilhelm
ザクセン公
ザクセン=ヴァイマル
在位 ザクセン公:1566年12月12日 - 1572年11月6日
ザクセン=ヴァイマル公:1572年11月6日 - 1573年3月2日

出生 (1530-03-11) 1530年3月11日
神聖ローマ帝国
ザクセン選帝侯領、トルガウ
死去 (1573-03-02) 1573年3月2日(42歳没)
神聖ローマ帝国
ザクセン=ヴァイマル公領、ヴァイマル
配偶者 ドロテア・ズザンナ・フォン・デア・プファルツ
子女 フリードリヒ・ヴィルヘルム1世
ジビュレ・マリー
ヨハン
マリア
家名 ヴェッティン家エルンスト系
父親 ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ1世
母親 ジビュレ・フォン・ユーリヒ=クレーフェ=ベルク
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ヨハン・ヴィルヘルム(Johann Wilhelm, 1530年3月11日 - 1573年3月2日)は、ザクセン公(在位:1566年 - 1572年)、のちザクセン=ヴァイマル公(在位:1572年 - 1573年)。ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ1世ジビュレ・フォン・ユーリヒ=クレーフェ=ベルクの次男。

人物

1566年、兄ヨハン・フリードリヒ2世神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の捕虜となった後にザクセン公となった。1572年、マクシミリアン2世の裁定により兄の息子2人との間で所領を分割し、以後ヨハン・ヴィルヘルムはザクセン=ヴァイマル公となり、新たにヨハン・カジミールがザクセン=コーブルク公、ヨハン・エルンストがザクセン=アイゼナハ公となった。翌1573年にヨハン・ヴィルヘルムは死去した。

1560年にプファルツ選帝侯フリードリヒ3世の娘で兄ヨハン・フリードリヒ2世の後妻エリーザベトの妹であるドロテア・ズザンナと結婚した。2人は5子をもうけた。

  • フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(1562年 - 1602年) - ザクセン=ヴァイマル公
  • ジビュレ・マリー(1563年 - 1569年)
  • 男子(死産、1564年)
  • ヨハン(1570年 - 1605年) - ザクセン=ヴァイマル公
  • マリア(1571年 - 1610年) - クヴェードリンブルク女子修道院長

出典

先代
ヨハン・フリードリヒ2世
ザクセン公
エルンスト系
1566年 - 1572年
次代
ヨハン・カジミール
(ザクセン=コーブルク)
ヨハン・エルンスト
(ザクセン=アイゼナハ)
と所領分割
先代
ザクセン=ヴァイマル
1572年 - 1573年
次代
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世



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