ライン宮中伯
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ライン宮中伯(ラインきゅうちゅうはく、独:Pfalzgraf bei Rhein)は、神聖ローマ帝国の諸侯。ドイツ西部のライン地方を支配した宮中伯。また、選帝侯の1人として国王選出権その他の特権を有した。ライン帝領伯とも。また、ライン・プファルツ(ファルツ)伯とも訳され、単にプファルツ(ファルツ)伯(Pfalzgraf)とも呼ばれる(後述)。選帝侯である場合には、プファルツ(ファルツ)選帝侯(Kurfürst von der Pfalz)とも呼ばれる。
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- 2 ライン宮中伯の概要
- 3 名称に関して
- 4 関連項目
ライン宮中伯(ライン・プファルツ伯)
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「選帝侯」の記事における「ライン宮中伯(ライン・プファルツ伯)」の解説
1623年、バイエルン公に領土と選帝権を奪われたが、1648年にヴェストファーレン条約でオーバープファルツを除く領土を回収した上で新たな選帝権と内帑長官の宮中職を獲得した。ただしこの選帝権はバイエルン公と同君連合した時点で失われると定められていた。1777年、ライン宮中伯カール4世フィリップ・テオドールがバイエルン選帝侯位を継承し、これによりライン宮中伯としての選帝侯位は消滅した。
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