ハイデルベルク‐じょう〔‐ジヤウ〕【ハイデルベルク城】
ハイデルベルク城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/02 15:08 UTC 版)
座標: 北緯49度24分36秒 東経8度42分57.6秒 / 北緯49.41000度 東経8.716000度
- ^ 『世界でいちばん美しい城、荘厳なる教会』(エムディエヌコーポレーション 2013年)pp.50-55.
- ^ ヴィクトル・ユーゴー 『ハイデルベルク』
- ^ a b マーク・トウェイン『ハイデルベルク』
- ^ ライン=ネッカー・ツァイトゥンク 2009年3月6日付け
- ^ Hans Weckesser: „Geliebter Wasserturm.“
- ^ Georg Dehio: „Handbuch der Deutschen Kunstdenkmäler. Baden-Württemberg I. Die Regierungsbezirke Stuttgart und Karlsruhe“. Bearbeitet von Dagmar Zimdars u. a.
- ^ Oechelhauser: „Das Heidelberger Schloss“, 1920
- ^ 水野久美 『いつかは行きたいヨーロッパの世界でいちばん美しいお城』大和書房、2014年、145頁。ISBN 978-4-479-30489-0。
- ^ ラインハルト・ホペ『故郷、ハイデルベルク』
- ^ ギュンター・ハイネマン: 『ハイデルベルク』
- ^ ダニエル・ヘベーレ『悪魔の噛み跡』
- ^ 騎士の足跡
- ^ http://www.heidelberger-altstadt.de
- ^ http://www.schoenmehl.de/presse/main.html
ハイデルベルク城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 11:04 UTC 版)
ハイデルベルク城は、ドイツで最も有名な城址として知られている。ケーニヒシュトゥールの北斜面、渓谷から80mの高さに位置し、街の風景全体を決定付けている。元々は城砦として築かれたが、その成立についてはよく分かっていない。ネッカー渓谷はこの城の麓付近で幅が狭まり、制圧しやすい地形である。ここはライン川支流の最後の徒渉地であり、後には最後の橋が架けられていた場所であった。選帝侯ルートヴィヒ3世は皇帝ジギスムントの代理としてこの地を治め、1415年のコンスタンツ公会議の後には最高判事として廃位させられた対立教皇ヨハネス23世をこの城に幽閉した。 1615年に刊行されたマテウス・メーリアンのTopographia Palatinatus Rheniに選帝侯ルートヴィヒ5世が「百数年前に新しい城館の建造を始めた」とあり、初めて城館の詳細な記述がなされている。17世紀に城と都市は3度にわたって占領され、破壊された(1622年の三十年戦争時にティリー伯によって占領され、1689年と1693年の破壊はプファルツ継承戦争時にフランス軍によってなされた)。この城はそのたびに再建と増築がなされたが、マンハイムに近代的な宮殿が築かれ、さらに1764年の落雷による火事でこの城の運命は決まった。 再建は断念され、城址は新しくシュヴェツィンゲンの夏の宮殿(de)を建造するための石切場と化し、後にはハイデルベルク市民が建築資材として持ち出した。こうした状態は、19世紀にグライムベルク伯(1830年頃)、ヴィクトル・ユーゴー(1842年)、ウィリアム・ターナー(1817年から1844年までの間たびたび)、マーク・トウェイン(1878年)らが、「悲劇的だが威厳のある城趾」というモチーフを提示するまで続いた。アウグスト・フォン・コツェブーは、ナポレオンの圧政に対する怒りを城址に託して描写した。破壊された城趾は愛国心のシンボルとなっていった。ハイデルベルクの観光業を間違いなく後押ししたのは、1840年の鉄道開通である。駅に近いホテルは人気が急上昇した。19世紀には裕福なロシア人やイギリス人が、20世紀の初めにはヨーロッパの視察に訪れた多くのアメリカ人が、このロマンティックな街ハイデルベルクに立ち寄った。 建造物: 緩やかな傾斜の中庭を囲んで、様々な様式(ロマネスク建築、ゴシック建築、ルネサンス建築)の古い城館建築が建ち並んでいる。5つの塔が城趾に遺されている。かつての鐘楼が渓谷を見下ろしている。バルコニー(侯爵のバルコニー)からはライン盆地が一望できる。渓谷から見上げるとルートヴィヒ館の修復された窓がピカピカと輝いて見える。かつてのstrenge Gartenには様々なロマンティックな装飾(グロッテ、テラス)がなされ、そのままケーニヒシュトゥールの森につながっている。 城内には巨大な樽も保管されている。 フリードリヒ館 オットハインリヒ館 ハイデルベルク城の大樽
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