フリードリヒ3世_(プファルツ選帝侯)とは? わかりやすく解説

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フリードリヒ3世 (プファルツ選帝侯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 10:02 UTC 版)

フリードリヒ3世
Friedrich III.
プファルツ選帝侯
在位 1559年 - 1576年

出生 (1515-02-14) 1515年2月14日
神聖ローマ帝国
プファルツ=ジンメルン公領ジンメルン
死去 (1576-10-26) 1576年10月26日(61歳没)
神聖ローマ帝国
プファルツ選帝侯領ハイデルベルク
埋葬 神聖ローマ帝国
プファルツ選帝侯領ハイデルベルク聖霊教会
配偶者 マリー・フォン・ブランデンブルク=クルムバッハ
  アマリア・フォン・ノイエンアール
子女 一覧参照
家名 プファルツ=ジンメルン家
父親 プファルツ=ジンメルン=シュポンハイム公ヨハン2世
母親 ベアトリクス・フォン・バーデン
宗教 キリスト教カルヴァン派
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フリードリヒ3世(Friedrich III., 1515年2月14日 - 1576年10月26日)は、プファルツ選帝侯(在位:1559年 - 1576年)。プファルツ=ジンメルン=シュポンハイム公ヨハン2世バーデン辺境伯クリストフ1世の娘ベアトリクスの子。

遠戚のオットー・ハインリヒに実子がなかったため、プファルツ系ヴィッテルスバッハ家の別系統から選帝侯位を継いだ。オットー・ハインリヒの家系とフリードリヒ3世の属するジンメルン家系とは、ローマ王ループレヒト(プファルツ選帝侯としてはループレヒト3世)の息子の代で枝分かれしており、フリードリヒ3世はループレヒトの5代後の子孫である。

熱心なカルヴァン派で、1563年聖餐論論争からハイデルベルク信仰問答を出版した。

子女

1537年ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯カジミールの娘マリーと結婚し、6男5女をもうけた。

1569年アマリア・フォン・ノイエンアールと結婚した。

先代
オットー・ハインリヒ
プファルツ選帝侯
1559年 - 1576年
次代
ルートヴィヒ6世



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