プファルツ=ジンメルン家
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プファルツ=ジンメルン家(Pfalz-Simmern)は、プファルツ系ヴィッテルスバッハ家の流れの一つ。三十年戦争及びその前後の時代、ドイツのみならずチェコ、イギリス、オランダの歴史に重要な関わりを持った。
- ^ Benjamin Müsegades (2016年4月13日). “Digitalisat Pfälzische Teilungen”. Historisches Lexikon Bayerns. 2023年5月28日閲覧。
- ^ “The Act of Settlement”. The Royal Family (2016年3月23日). 2023年5月28日閲覧。
- ^ Rodrigues, Ana Maria S. A.; Silva, Manuela Santos; Spangler, Jonathan W. (19 August 2019). Dynastic Change: Legitimacy and Gender in Medieval and Early Modern Monarchy. ISBN 9781351035125
- ^ 宮本、pp. 139 - 143、p. 153
- 1 プファルツ=ジンメルン家とは
- 2 プファルツ=ジンメルン家の概要
- 3 歴史
- 4 プファルツ=ジンメルン公
プファルツ=ジンメルン家
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「プファルツ家」の記事における「プファルツ=ジンメルン家」の解説
「プファルツ=ジンメルン家」も参照 プファルツ=ジンメルン=ツヴァイブリュッケン家のシュテファンの長男フリードリヒ1世がシュポンハイム並びにジンメルンを継承したことに始まる。ヨハン2世の代にカルヴァン派に改宗し、その息子フリードリヒ3世は本家の断絶を受けて選帝侯位も相続している。以後一族はカルヴァン派の守護者となり、さらにはプロテスタント同盟の盟主となることで帝国内の全プロテスタントの庇護者となりうる立場に上りつけた。このためフリードリヒ5世はボヘミアの等族(有力貴族)によって国王に選出されるものの、これが切っ掛けで三十年戦争が勃発して一時は選帝侯位を喪失する。その息子であるカール1世ルートヴィヒは1648年のヴェストファーレン条約で新たに創設された選帝侯位を獲得する者の息子のカール2世の代で断絶。カール2世の妹であるエリザベート・シャルロットと結婚していたオルレアン公フィリップ1世が継承権を主張して大同盟戦争が勃発する。
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