ルター【Martin Luther】
マルティン・ルター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/13 09:37 UTC 版)
マルティン・ルター(Martin Luther [ˈmaɐ̯tiːn ˈlʊtɐ] ( 音声ファイル)、1483年11月10日 - 1546年2月18日[1])は、ドイツの神学者、教授、聖職者、作曲家。聖アウグスチノ修道会に属する。
注釈
- ^ ヨハネス・オッホレウス著『マルティン・ルターの行為と著作についての注解』がその代表作の1つである。ドミニコ会のハインリッヒ・デニフレの『原資料によるルターおよび発展初期のルター主義』は、ルターが肉欲的な動機でもって宗教改革を行ったとしている。イエズス会のハルトマン・グリザールの『ルター』は、ルターを「誇大妄想狂の精神異常者」と判断している。[43]
- ^ これは英国国教会も時を移さず踏襲した判断であり、根拠のないルター個人の決定では決してない。やがてプロテスタント教会で使用する聖書からルターがApocryphaとした書物は概ね姿を消したが、これは長い世紀の移り行きの結果である。
- ^ 岡田稔はルターが宗教改革の尖兵であったために、新約聖書のうち23巻を特に教理の構築のために活用したと考えている[44]。
出典
- ^ Martin Luther German religious leader Encyclopædia Britannica
- ^ “大航海の時代、日本では大地震が頻発する中、3英傑が天下統一を果たす”. ヤフーニュース (2020年7月13日). 2020年10月20日閲覧。
- ^ 徳善 2012, p. 12.
- ^ 徳善 2007, pp. 22–23.
- ^ a b c d e f g h 樋口 1985, pp. 18–21.
- ^ 徳善 2007, p. 310.
- ^ 「塔の体験」という名前は、ヴィッテンベルク大学学生寮の塔内の図書室において、新しい福音の光が与えられたと、後年述べたことに基づいている
- ^ 徳善義和著『マルティン・ルター ことばに生きた改革者』(岩波新書、2012年)p.61
- ^ 徳善 2012, pp. 86–89.
- ^ 徳善 2007, p. 312.
- ^ 1521年4月18日の有名な演説は、「ルター自身の手になるラテン語訳だけが伝えられている」が、その全文の邦訳は、吉島茂・井上修一・鈴木敏夫・新井皓士・西山力也編訳『ドイツ文学 歴史と鑑賞』朝日出版社 1973、15-18頁に掲載されている。
- ^ Martin Luther, the Reformation and the nation DW Documentary
- ^ 他方、正教会では妻帯司祭は一般的に存在してきた。
- ^ 産業革命以前のヨーロッパの農民とは農奴のこと。松原久子『驕れる白人と闘うための日本近代史』
- ^ 宗教改革者で農民といっしょに命を落としたミンツァーはこう書いている。「休まずどんどんやれ、続けろ、火が燃えているではないか。刀を血で濡らせ。そこにいるあいつらがお前たちを支配しているかぎり、誰もお前たちに神について語ることはできない。なぜならそこにいる彼奴らがお前たちを支配しているからだ。休まず続けるのだ、がんばれ、時がきた、神が先へいく、神に続け」松原久子 『驕れる白人と闘うための日本近代史』(文藝春秋 2005年)
- ^ エンゲルス『ドイツ農民戦争』
- ^ 松原久子 『驕れる白人と闘うための日本近代史』(文藝春秋 2005年)
- ^ 宣教ビラ『強盗のような、殺人者のような農民の群れに対抗する』の中で「彼らを閉め出し、絞め殺し、そして刺し殺さなければならない、密かに、あるいは公然と」「扇動的な人間ほど、有毒で、有害で、悪魔的なものはいない」と書いている。松原久子 『驕れる白人と闘うための日本近代史』(文藝春秋 2005年)
- ^ 彼らの大半は、一揆が崩壊した後に、領主による裁きによって殺された。ペトラルカ・マイスターの木版彫刻には、捕らえられ、縛られた農民たちが鞭を打たれ、車裂きの刑に処せられ、首を吊られ、串刺しにされ、首をはねられ、生きたまま火炙りにされている一方で、支配者たちが毛皮のついたガウンを身にまとい、復讐が実行される様子を観覧席から眺めている様が描かれている。松原久子『驕れる白人と闘うための日本近代史』
- ^ 帰省先から大学へと戻る途上で同行者とのいさかいゆえに生じた「決闘」が原因とされる。
- ^ 滝上 2011, p. 435.
- ^ a b 滝上 2011, p. 436.
- ^ 滝上 2011, pp. 436–437.
- ^ 滝上 2011, p. 438.
- ^ 滝上 2011, p. 439.
- ^ このため、ルターは利尿作用のあるビールを積極的に飲んだが、アルコールによる臓器障害があったと思われる記録は残っていない
- ^ 滝上 2011, pp. 439–441.
- ^ 徳善 2007, p. 315.
- ^ 翻訳『ユダヤ人と彼らの嘘』歴史修正研究所訳 ISBN 4947737379
- ^ 『ユダヤ人迫害史』黒川知文 教文館 ISBN 4764265354
- ^ 『教会が犯したユダヤ人迫害』ミカエル・ブラウン著 横山隆訳 ISBN 4872071700
- ^ 大澤武男 『ユダヤ人とドイツ』 講談社〈講談社現代新書〉、1991年、57-59頁。
- ^ 中村敏著『著名人クリスチャンの結婚生活』ファミリー・フォーラム・ジャパン
- ^ 永田諒一『宗教改革の真実-カトリックとプロテスタントの社会史-』 講談社現代新書
- ^ a b c #ポリアコフ1985,p.109-111.
- ^ 「宗教改革」世界大百科事典,平凡社.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p ポリアコフ 1巻,p269-283.
- ^ a b 下村 1972, p.107-8.
- ^ a b c #大澤1991,p.55-75
- ^ Martin Luther, Werke, Bd. 6. Briefe, Frankfurt, 1982, p.184.
- ^ ポリアコフ 1巻p.273.
- ^ stultissimus
- ^ 古屋安雄著『激動するアメリカ教会-リベラルか福音派か-』ヨルダン社
- ^ a b c d e 岡田稔著『岡田稔著作集』いのちのことば社
- ^ 小学館編『地球紀行 世界遺産の旅』p85 小学館<GREEN Mook>1999.10、ISBN 4-09-102051-8
- ^ Documents representing the beginning and the early development of the Reformation initiated by Martin Luther Memory of the World - UNESCO
マルティン・ルター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/03 02:11 UTC 版)
マルティン・ルターの聖書解釈の原則「聖書が聖書自体の解釈者である」は、プロテスタントにいまも引き継がれている。
※この「マルティン・ルター」の解説は、「聖書解釈」の解説の一部です。
「マルティン・ルター」を含む「聖書解釈」の記事については、「聖書解釈」の概要を参照ください。
マルティン・ルター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/10 08:24 UTC 版)
専門家にとっては中世を外れた事件だが、マルティン・ルターの宗教改革は、西方教会の統一(中世を特色付ける特質の一つ)を終わらせた。 ドイツの僧侶ルターは1517年10月31日にヴィッテンベルクの教会で95ヶ条の論題を発表して宗教改革を始めた。行動の背景には1514年にレオ10世が新しいサン・ピエトロ大聖堂建設に向けた贖宥状を更新したことに対する直接の憤りがあった。ルターは1521年にヴォルムス帝国議会で異端の考えを撤回するよう要求された。拒むと、カール5世により帝国内での活動を禁止された。フリードリヒ3世の庇護を受けてドイツ語に聖書を翻訳できるようになった。 多くの世俗の支配者にとって宗教改革は自身の富と権勢を拡大できる歓迎すべき機会であった。カトリック教会はカトリックまたは対抗宗教改革と呼ばれている改革運動の要求を受けた。ヨーロッパは北のプロテスタントと南のカトリックに分裂し、16世紀と17世紀の宗教戦争につながった。
※この「マルティン・ルター」の解説は、「中世後期」の解説の一部です。
「マルティン・ルター」を含む「中世後期」の記事については、「中世後期」の概要を参照ください。
「マルティン・ルター」の例文・使い方・用例・文例
固有名詞の分類
思想家 | 蘭渓道隆 本居宣長 マルティン・ルター クセノファネス アダム・スミス |
聖書翻訳者 | 左近義弼 山崎亭治 マルティン・ルター 尾山令仁 マクシム・グレク |
ドイツの神学者 | エルンスト・ブロッホ ヨハン・ニコラウス・フォン・ホントハイム マルティン・ルター マルティン・ニーメラー エルンスト・トレルチ |
教育関係人物 | 本居宣長 トーマス・ホプキンズ・ギャローデット マルティン・ルター 外山恒一 潮木守一 |
ルネサンスの作曲家 | ヤーコプ・オブレヒト クリストバル・デ・モラーレス マルティン・ルター アレクサンダー・アグリコラ アントワーヌ・ビュノワ |
- マルティン・ルターのページへのリンク