ケルン大司教とは? わかりやすく解説

ケルン大司教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/29 16:15 UTC 版)

ケルンの司教領を中心とした司教区。

ケルン大司教(ケルンだいしきょう、Erzbischof von Köln、複数形はErzbischöfe von Köln)は、カトリック教会ドイツケルン教区首長大司教である。

歴史

中世

ローマから最も早くキリスト教が伝来したケルンは、313年皇帝コンスタンティヌス1世が発布したミラノ勅令により司教座が設置された。8世紀末には司教座が昇格し大司教座になり同時に領地は大司教領に昇格した。6世紀末〜13世紀末にかけてケルン司教(大司教)はフランク王国東フランク王国・神聖ローマ帝国の宮廷と密接な関係を持った。

大司教座の置かれたケルン一帯は、ケルン大司教を領主とする聖職領邦となり、大司教座附属学校 (Domschule) の置かれたケルンはライン川流域の政治・文化の中心となった。またドミニコ会が設立したケルン大司教区付属神学校 (studium generale et solemne) ではアルベルトゥス・マグヌスマイスター・エックハルトなど中世の重要な思想家が講義を行ない、スコラ学最大の神学者となるトマス・アクィナスなどが学んだ。そしてマイスター・エックハルトによってケルン大司教区付属神学校と大司教座附属学校はドイツ神秘主義思想の発展に大きくかかわることとなり、両校を母体に1388年ケルン大学が創立された。

深緑=マインツ、オレンジ=ケルン、紫=トリーア、赤&うすピンク=ボヘミア、黒=ブランデンブルク、黄=ザクセン、青=ライン宮中伯(プファルツ)

1198年ローマ教皇インノケンティウス3世ヴェルフ家ホーエンシュタウフェン朝ローマ王位争いについて、「ライン川流域の4人の諸侯マインツ大司教・ケルン大司教・トリーア大司教ライン宮中伯の賛同が不可欠である」と宣言したため、ケルン大司教は事実上の選帝侯に昇格し大司教領も事実上の選帝侯領に昇格した。

1356年皇帝カール4世金印勅書を発布し大司教は正式に選帝侯に昇格した。

1457年ケルン市は帝国自由都市となり、選帝侯領はボンが新たな首都となった。

15世紀にマインツ選帝侯が行うようになるまでは選出された国王に帝冠を戴冠するのはケルン大司教選帝侯の職務であった、またケルン大司教選帝侯は帝国の構成国の一つイタリア王国の大書記官長だったが時代が進むに連れその官位は形式上のものになった。

1512年に選帝侯領が帝国クライスに組み込まれると、ケルン選帝侯領もクールライン・クライスの成員になった。

近世

宗教改革の影響を受けたケルン選帝侯ゲープハルト・トゥルフゼス・フォン・ヴァルトブルク英語版は1582年にカルヴァン派に改宗した。これによりエルンスト・フォン・バイエルン英語版が対立司教に選出され、1583年にケルン戦争英語版が勃発した。最終的にはヴァルトブルクが退位させられた。以降1761年までバイエルン系ヴィッテルスバッハ家が選帝侯位を独占した。三十年戦争ではカトリック側で参戦した。

1789年にフランス革命が起き、それが原因となって引き起こされたフランス革命戦争及びナポレオン戦争では幾度ともなく領土を占領された。

1801年リュネヴィルの和約によりライン左岸の領土がフランスに併合された。1803年2月25日帝国代表者会議主要決議により領土がヘッセン=ダルムシュタット方伯領やアレンベルク公領に併合され、ケルン選帝侯領は消滅した。

1824年、選帝権および領土を持たない大司教職として再設立され、21世紀に至る。

一覧

ケルン大司教(784年 – 1198年)

  • 1193年 – 1205年:アドルフ・フォン・アルテナ英語版

ケルン選帝侯(1198年 – 1803年)

  • 1205年 – 1208年:ブルーノ4世・フォン・ザイン英語版
  • 1208年 – 1212年:ディートリヒ1世・フォン・ヘンゲバッハ英語版
  • 1212年 – 1216年:アドルフ・フォン・アルテナ英語版
  • 1216年 – 1225年:エンゲルベルト1世・フォン・ケルン英語版
  • 1225年 – 1238年:ハインリヒ1世・フォン・ケルン英語版
  • 1238年 – 1261年:コンラート・フォン・ホッホシュターデン英語版
  • 1261年 – 1274年:エンゲルベルト2世・フォン・ファルケンブルクドイツ語版
  • 1275年 – 1297年:ジークフリート・フォン・ヴェスターブルク英語版
  • 1297年 – 1304年:ヴィクボルト・フォン・ホルテ英語版
  • 1304年 – 1332年:ハインリヒ2世・フォン・フィルネブルク英語版
  • 1332年 – 1349年:ヴァルラム・フォン・ユーリヒ英語版
  • 1349年 – 1362年:ヴィルヘルム・フォン・ゲンネップ英語版
  • 1363年 – 1364年:アドルフ・フォン・デア・マルク
  • 1364年 – 1368年:エンゲルベルト3世・フォン・デア・マルク英語版
  • 1370年 – 1414年:フリードリヒ3世・フォン・ザールヴェルデン英語版
  • 1414年 – 1463年:ディートリヒ2世・フォン・メールスドイツ語版
  • 1463年 – 1480年:ループレヒト・フォン・デア・プファルツ英語版
  • 1480年 – 1508年:ヘルマン4世・フォン・ヘッセン英語版
  • 1508年 – 1515年:フィリップ2世・フォン・ダウン英語版
  • 1515年 – 1547年:ヘルマン5世・フォン・ヴィート英語版
  • 1547年 – 1556年:アドルフ・フォン・シャウムブルク英語版
  • 1557年 – 1558年:アントン・フォン・シャウンブルク英語版
  • 1558年 – 1562年:ゲープハルト・フォン・マンスフェルト英語版
  • 1562年 – 1567年:フリードリヒ4世・フォン・ヴィート英語版
  • 1567年 – 1577年:ザレンティン・フォン・イーゼンブルク英語版
  • 1577年 – 1583年:ゲープハルト・トゥルフゼス・フォン・ヴァルトブルク英語版
  • 1583年 – 1612年:エルンスト・フォン・バイエルン英語版
  • 1612年 – 1650年:フェルディナント・フォン・バイエルン英語版
  • 1650年 – 1688年:マクシミリアン・ハインリヒ・フォン・バイエルン英語版
  • 1688年 – 1723年:ヨーゼフ・クレメンス・フォン・バイエルン
  • 1723年 – 1761年:クレメンス・アウグスト・フォン・バイエルン
  • 1761年 – 1784年:マクシミリアン・フリードリヒ・フォン・ケーニヒゼック=ローテンフェルス英語版
  • 1784年 – 1801年:マクシミリアン・フランツ・フォン・エスターライヒ
  • 1801年 – 1803年:アントン・ヴィクトル・フォン・エスターライヒ英語版

ケルン大司教(1824年 – )


ケルン大司教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/29 02:09 UTC 版)

選帝侯」の記事における「ケルン大司教」の解説

イタリアにおける大書記官長。選出され国王戴冠するのはケルン大司教の職務であったが、15世紀以降マインツ大司教戴冠するようになった1801年ライン左岸フランスナポレオン)への割譲により選挙権を失う。1583年から1761年までバイエルン系ヴィッテルスバッハ家大司教位を独占選帝侯ソナタ少年時代ベートーヴェン作曲し当時のケルン大司教に献呈したことからこの名で通称される。

※この「ケルン大司教」の解説は、「選帝侯」の解説の一部です。
「ケルン大司教」を含む「選帝侯」の記事については、「選帝侯」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ケルン大司教」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ケルン大司教」の関連用語

ケルン大司教のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ケルン大司教のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのケルン大司教 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの選帝侯 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS