帝国クライス
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帝国クライス(ていこくクライス、ドイツ語: Reichskreis)とは、神聖ローマ帝国で16世紀に確立した統治システムである。帝国を複数の帝国等族[注釈 1]を包含した10のクライスに分け[注釈 2][注釈 3]、ラント平和(地域内の治安維持)にあたった。平和破壊活動(一揆、暴徒化した傭兵、諸侯の侵略行為など)の規模に応じ、隣接するクライスと共同でその平定にあたることもあった。
- ^ 帝国レーエンを得ているもので、聖俗諸侯のほかに伯、帝国都市、有力聖職者(修道院長など)を含む。
- ^ ただし、帝国騎士領、スイス同盟領、イタリア、イェーバー、ディトマルシェン農民共和国、ボヘミア王国およびこれに附属する地方であるシュレージエン、ラウジッツ、モラヴィアは除く。
- ^ 1512年以前は、選帝侯領やハプスブルク家の相続領が除かれており、6つであった。
- ^ 1564年にまずはフランケン・クライスが単独で「クライス会議の名において」関税撤廃をプファルツ・ノイブルク公に申し入れている。
- ^ 実際に1597年の帝国議会では、反宗教革命により宗教対立が激化していたにもかかわらず、これについての議論はなされず、トルコ戦争援助問題だけが議題に上がった。
- ^ いわゆる「最後の帝国最終決定」である。
帝国クライス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 17:51 UTC 版)
詳細は「帝国クライス」を参照 帝国改造の一環として、1500年に6管区の帝国クライスが設置され、更に4管区が1512年に設置されている。クライスは帝国最高法院陪席判事の選出、平和維持と防衛の分担調整、貨幣制度の監督、そして公共平和の維持を目的とした帝国内諸邦のほとんどを含む地域行政単位である。各々のクライスはクライス会議(Kreistag)の名で知られる独自の議会とクライス内の問題を調停する1-3人のクライス公示事項担当諸侯(Kreis Ausschreibender Fürst)を有していた。 バイエルン・クライス シュヴァーベン・クライス オーバーライン・クライス ヴェストファーレン・クライス フランケン・クライス ニーダーザクセン・クライス ブルグント・クライス オーストリア・クライス オーバーザクセン・クライス クールライン・クライス 全ての領域が帝国クライスに含まれている訳ではなく、ボヘミア王の領土、帝国騎士領や帝国内のドイツ騎士団領地などの小邦、そして、スイス、北イタリアの帝国諸侯は除外されている。
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