大空位時代とは? わかりやすく解説

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だい‐くういじだい〔‐クウヰジダイ〕【大空位時代】


大空位時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/25 13:35 UTC 版)

大空位時代(だいくういじだい、ラテン語: Interregnum)は、神聖ローマ帝国で王権が不安定であった時代(空位時代)。期間は1250年[1]1254年[2]または1256年[3]から1273年[1][2]まで。この時期にローマ王(ドイツ王)を世襲する有力な家門はなく、権力の真空が生じた。そこで、選帝侯など有力諸侯が帝国の直轄領を蚕食し、帝国の権利の多くを奪った。彼らはライン都市同盟までも分解し、影響力を極端に増した。


  1. ^ a b 菊池 2003, p. 129.
  2. ^ a b c d e f 山内進 著「苦闘する神聖ローマ帝国」、木村靖二 編『ドイツ史』山川出版社〈新版世界各国史〉、2001年8月、71-72頁。ISBN 4-634-41430-9 
  3. ^ 菊池 2003, pp. 131–132.
  4. ^ 菊池 2003, pp. 128–129.
  5. ^ 菊池 2003, p. 131.
  6. ^ a b 瀬原義生『スイス独立史研究』ミネルヴァ書房〈Minerva西洋史ライブラリー〉、2009年11月、3-4頁。ISBN 978-4-623-05531-9 
  7. ^ 菊池 2003, p. 137.


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大空位時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 02:30 UTC 版)

神聖ローマ皇帝一覧」の記事における「大空位時代」の解説

大空位時代(1254年 - 1273年)は、その名とは違い空位ではなかった。 肖像画名前(家門在位生没年国王選出皇帝戴冠備考紋章 ヴィルヘルムホラント家1234年 - 1256年1227年/1228年 - 1256年1247年/1248年 - リヒャルト(コーンヴァリス(プランターゲネット)家) 1257年 - 1272年1209年 - 1272年1257年 - イングランド王ジョン欠地王の子コーンウォールアルフォンスブルグント(イフレーア)家) 1257年 - 1275年1221年 - 1284年1257年 - カスティーリャ王 -

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大空位時代


大空位時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 22:39 UTC 版)

神聖ローマ皇帝」の記事における「大空位時代」の解説

詳細は「大空位時代」を参照 ホーエンシュタウフェン朝断絶後、「大空位時代」の時期帝国直轄領および諸権利著しく減少し、「大空位時代」直後ルドルフ1世国王位の世襲失敗したために、以後歴代国王主として自身家門所領に頼ることとなる。したがってルドルフ1世以降国王および皇帝は、王権あるいは帝権強化より自身家門勢力の拡大政策目標とするようになり、「家門王権(Hausmachtkönigtum)」の時代始まった。また大空位時代後には、フランス王権に対して優位維持することはもはやできなくなっていた。

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大空位時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 17:51 UTC 版)

神聖ローマ帝国」の記事における「大空位時代」の解説

詳細は「大空位時代」を参照 フリードリヒ2世死去した1250年(またはコンラート4世死去した1254年、あるいはヴィルヘルム・フォン・ホラント死去した1256年)からハプスブルク家ルドルフ1世国王選出され1273年までの期間を大空位時代(Interregnum)と呼ぶ。原語直訳すると「王権空いた期間」であり、王はいたもの権力がなかったという意味である。弱小貴族や非ドイツ人王として選出されたが、神聖ローマ帝国現実的な影響を及ぼすことはできなかった。この選挙の際にマインツ大司教ケルン大司教トリーア大司教ライン宮中伯プファルツ)、ブランデンブルク辺境伯ザクセン大公、そしてボヘミア王といった、後に選帝侯(Kurfürst)と呼ばれるグループ現れた。 ヴィルヘルム・フォン・ホラントは「神聖ローマ帝国」(Imperium Romanum Sacrum)の国名初め用いた王だった。しかし実態としては弱小地方領主の域を出ない有名無実の王だった。1247年教皇派によって20歳対立王選出されるが、ホーエンシュタウフェン朝との戦いに自ら勝つことは出来なかった。1254年シュタウフェン朝最後の王コンラート4世死去したことで唯一のドイツ王となったが、依然として王として権力はなかった。名ばかり単独となった2年後ヴィルヘルム1256年フリースラント遠征中に28歳戦死してしまう。1257年教皇派であるプファルツケルンそしてマインツの3人の選挙人後継国王をもはやドイツ諸侯から選ぶことすらしなかった。彼らが推戴したのは46歳コーンウォール伯リチャードイングランド王ヘンリー3世の弟)だった。 リチャード神聖ローマ帝国王権をふるうことはできなかった。王に選出され数ヵ月後には皇帝派トリーアブランデンブルクザクセンボヘミア)が対立王としてローマ王フィリップの孫でカスティーリャ王アルフォンソ10世選出し早くも正当性怪しくなった。リチャードアーヘン正式に戴冠したもののドイツにはほとんど不在だった。アルフォンソ10世至ってスペインに留まって一度ドイツに入ることがなかった。このため国王ドイツにいない状態が長期化した。帝国秩序乱れた諸侯特権獲得領域形成強固にして、より一層自立した統治者化した諸侯勢力対しドイツ西部の諸都市ライン同盟結成するといった現象起こったまた、ホーエンシュタウフェン朝滅ぼしてシチリア王国乗っ取ったシャルル・ダンジュー荒廃した神聖ローマ帝国をも狙い、甥のフランス王フィリップ3世帝位につける野望抱いた1272年リチャードが全く実権の無いローマ王位を抱えたまま63歳死去した諸侯外国干渉防ぎつつ強力な王の誕生を防ぐため、南シュヴァーベン小領主に過ぎないハプスブルク家ルドルフ1世国王選出したルドルフ1世当時としては高齢50歳であり、その治世はすぐに終わるはずであった

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