権限の拡充
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/10 13:46 UTC 版)
1537年、対トルコ戦争への援助を取り付けたいローマ王フェルディナント1世は帝国クライス会議の開催を画策した。これは、帝国議会を開催した場合には、先の「ニュルンベルクの和約」の規定に従い、宗教問題を優先的に協議せねばならず、対トルコ戦援助協力を決議できなくなる可能性があることを考慮したものである。 これに対して、ヘッセン方伯フィリップは、対トルコ戦援助は帝国議会の管轄事項であって、帝国クライス会議での協議事項ではないと強く反発し、ヴォルムスで帝国クライス会議が開催された同じ日に、ラーデンベルクでプロテスタント諸侯を招集した会議を開催するという妨害活動を行っている。こうした宗教対立の中で開催されたヴォルムスでの帝国クライス会議では、帝国議会を早期開催することだけを決議して終了した。 これを承けてフェルディナントは、シュマルカルデン同盟に接近し、プロテスタント教徒の安全保障と引き替えに対トルコ戦への援助協力を取り付けた。帝国議会の替わりに帝国クライス会議を利用しようとする皇帝ではあったが、ここでもやはり宗派対立が大きな足枷となり、帝国クライスの体制整備は不十分な状態であった。 それでも、1542年に開催された帝国議会で、帝国一般直接税の徴収業務をクライスが行うこととなった。クライス毎に6人の収税官を設け、徴収した帝国一般直接税によりクライス軍の維持費をクライス毎に賄うことが定められた。 帝国クライスに対して抵抗姿勢を示す帝国等族の不満の一つは、クライスへの協力規模算定の基準となる帝国台帳の不正確さがあった。その見直しは、1541年の議会で諮られる議題となったのだが、対トルコ戦協力問題が優先された結果、棚上げとなっていた。強力な等族がおらず、中小規模の等族で構成されるオーバーライン・クライスは、その修正を特に強固に主張し、1544年、各クライスの代表者が招集され、その見直しのための会議が開催された。 ここに至りクライスは、皇帝や有力等族に利用される存在から、自らの財政基盤を持ち、帝国台帳の見直しという帝国レベルの問題に関する協議にその代表者が関わる自立的存在となっていったのである。
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