帝国等族(参加者)
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「帝国議会 (神聖ローマ帝国)」の記事における「帝国等族(参加者)」の解説
帝国議会に参議できる身分を帝国等族という。 諸侯 七人の選帝侯、侯爵、一部の広大な領地を治める伯爵。選帝侯とともにオーストリア大公爵が特別な地位を占めていた。 高位聖職者 大司教、司教、修道院長など 帝国自由都市 徐々に諸侯の支配下に入り、ハンブルクとブレーメンを除いて自由特権を失った。
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帝国等族
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詳細は「領邦」および「選帝侯」を参照 帝国領邦の数は相当数に及び、18世紀末の時点で領邦高権を有する領邦314、自立権力を有するその他の帝国騎士領は1475家に上った。これら小邦(Kleinstaaten)の幾つかは飛び地を含む数平方マイルの規模しかなく、そのため帝国はしばしば「パッチワーク」(Flickenteppich)と呼ばれた。皇帝と直接的な封建関係を結んで帝国封(Reichslehen)を授封された者は帝国等族(Reichsstände)と見なされた。帝国等族は以下のものである。 選帝侯。金印勅書によって定められたマインツ大司教、ケルン大司教、トリーア大司教、ライン宮中伯(プファルツ)、ブランデンブルク辺境伯、ザクセン公そしてボヘミア王。三十年戦争後にバイエルン(1648年)とハノーファー(1692年)が加わっている。1777年にライン宮中伯とバイエルンが統合され、帝国最末期の1803年の再編でケルン大司教とトリーア大司教が除かれ、ザルツブルク、ヴュルテンベルク、ヘッセン=カッセル、バーデンが選帝侯に加えられた。 大公、公爵、伯爵または帝国騎士(Reichsritter)といった世襲貴族に統治されている領地(俗界領邦)。 大司教、司教または修道院長といった高位聖職者に統治されている領地(聖界領邦)。一般的に司教領では、この一時的な領地はしばしばより広い教区と重なっており、司教に聖俗両方の権力を与えた。マインツ大司教領、ケルン大司教領、トリーア大司教領がその事例である。 皇帝直轄の帝国自由都市(Freie Reichsstadt)。 1495年ヴォルムス帝国議会の時点では選帝侯7、聖界諸侯(大司教4、司教46、修道院長86)、俗界諸侯(公爵24、伯爵その他の領主145)、帝国自由都市83となっている。
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