聖界諸侯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/29 02:09 UTC 版)
マインツ大司教→レーゲンスブルク大司教 ゲルマニア(ドイツ)における大書記官長。1356年の金印勅書で皇帝選挙の主催者とされ、選帝侯の筆頭に位置づけられると、以後 Erzkanzler durch Germanien は「ゲルマニアにおける大書記官長」から「神聖ローマ帝国の宰相」を指す語となった。また、皇帝選挙の際には最後に投票するよう定められており、それまでの投票で各候補者が同票の場合には、マインツ大司教が選挙結果を決めるようになっていた。 1803年にレーゲンスブルク大司教と改称。 トリーア大司教(トリーア選帝侯) ガリア及びブルグントにおける大書記官長。1801年、ライン左岸のフランス(ナポレオン)への割譲により選挙権を失う。 ケルン大司教 イタリアにおける大書記官長。選出された国王に戴冠するのはケルン大司教の職務であったが、15世紀以降マインツ大司教が戴冠するようになった。1801年、ライン左岸のフランス(ナポレオン)への割譲により選挙権を失う。1583年から1761年までバイエルン系ヴィッテルスバッハ家が大司教位を独占。選帝侯ソナタは少年時代のベートーヴェンが作曲し、当時のケルン大司教に献呈したことからこの名で通称される。
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