ドイツ領邦国家の原型
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 09:45 UTC 版)
「フリードリヒ2世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「ドイツ領邦国家の原型」の解説
1213年、フリードリヒはゲルマニア(ドイツ)の諸侯の支持を取り付けるために発布したエーガー勅令で選帝侯の権利を認め、領内の司教・大修道院長の選挙にローマ王は干渉しないことを約束した。ローマ王即位後は、王位争いによって弱体化した王権を回復するためにレーエンの取得、断絶した貴族家系の所領の相続・分配への介入を行った。しかし、叙任権闘争時代以来形成されてきた諸侯の権利を削ることは不可能であり、また息子ハインリヒ7世のローマ王即位には諸侯の協力が必要であることは周知していた。そのためゲルマニアにおいては強権的な政策はとらずに諸侯との協調を図った。 次いでハインリヒのローマ王即位に際して、フリードリヒは諸侯の中で多数を占める聖界諸侯への対策を打ち出す。1220年4月26日、帝国の聖界諸侯に領域支配の権限を認める特許状(聖界諸侯との協約)を発行した。 1231年にハインリヒが受諾した「諸侯の利益のための協定」は、翌1232年5月に若干の修正を加えられた上でフリードリヒの承認を受けた「諸侯の利益のための協定」によって聖界諸侯が有していた特権が世俗諸侯にも与えられ、この協定は後世のドイツに乱立する領邦国家の成立に繋がった。フリードリヒの没時、諸侯は既に領地における主権を築いていた。 また、特許状は聖俗の諸侯以外にチュートン騎士団にも与えられた。1226年のリミニの金印勅書によって、チュートン騎士団にクルムと隣接する地域、プロイセンの征服と支配が認められた。1233年のクルム特権状によって騎士団の権利が補完され、1234年にはグレゴリウス9世も騎士団に特権を授与した。フリードリヒはチュートン騎士団を信頼のおける一勢力に構築し、騎士団の総長を務めたヘルマン・フォン・ザルツァは彼の腹心として助言を与えた。 フリードリヒがゲルマニアに到着した当時微弱な勢力だった騎士団は、年代記に「帝国はもはや騎士団の団員の助言によって動いている」と書かれる一大勢力に成長する。法的な権利を認められた騎士団は先住民と戦いながら東方への植民を行い、騎士団国家の建設を進めていった。
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