ローマ王即位とは? わかりやすく解説

ローマ王即位

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 16:01 UTC 版)

ロタール3世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「ローマ王即位」の解説

シュパイアーシュパイエル)においてハインリヒ5世埋葬式が行われ、マインツで次王の選挙が行われた。候補者ホーエンシュタウフェン家シュヴァーベン大公フリードリヒ2世オーストリア辺境伯レオポルト3世ザクセン公ロタール・フォン・ズップリンブルクであったハインリヒ5世は甥に当たるフリードリヒ2世王位願ったのだが、この選挙選ばれたのはロタールであり、彼がローマ王ロタール3世となった。この選挙結果めぐっては、当時マインツ大司教による陰謀説など様々あるが、詳細不明である。 この結果は、当然ながらシュタウフェン家の不満を招くものであったロタール3世とシュタウフェン家は1127年より軍事衝突へと突入しフリードリヒ2世の弟コンラート対立王擁立されたが、1135年までにロタール3世有利な形で講和行った結果コンラート王位放棄したコンラートロタール就任していなかったイタリア王としても戴冠していたが、これも対立ローマ王位と合わせて放棄している。 1100年ノルトハイムハインリヒの娘リヒェンツァと結婚した。リヒェンツァはバイエルン公オットー・フォン・ノルトハイムの孫でオットー遺産相続人であったまた、彼女の母親ゲルトルート・フォン・ブラウンシュヴァイクは、その出身家門であるブルノン家ブラウンシュヴァイク所領相続しており、ロタール3世は妻を介してこれらの重要な所領手に入れた。しかし、この結婚から嗣子を得ることはなかったため、当時バイエルン公ハインリヒ10世にゲルトルートを嫁がせて事実上後継者とした。これには、シュタウフェン家の影響力が強いシュヴァーベン勢力伸張しようとする狙いもあった。2人の間にハインリヒ獅子公生まれている。

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ローマ王即位

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 02:24 UTC 版)

アルブレヒト1世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「ローマ王即位」の解説

1291年7月15日ルドルフ1世没すると、アルブレヒト取り巻情勢目まぐるしく変化するスイス都市アルブレヒト脅威感じ1291年8月1日ウーリシュヴィーツウンターヴァルデン(ニトヴァルデン)の代表者がリュートリで会合し盟約者同盟永久同盟)を結んだスイス東部ベルンムルテン英語版)、パイエルヌ(英語版)が連合し、西ではラウフェンブルク・ハプスブルク家出身のコンスタンツ司教コンラート中心としてチューリヒルツェルン同盟結んだ東西連合連携取り合ってアルブレヒト反抗し1291年12月25日ハプスブルク本家拠点であるザールネン城を破壊したローマ教皇ニコラウス4世承認得た周辺勢力は反ハプスブルク同盟結成しハンガリーボヘミアニーダーバイエルンサヴォイア伯国聖界諸侯盟約者同盟参加したハンガリーではラースロー4世従兄弟にあたるアンドラーシュ3世国王擁立され、アンドラーシュ3世ザルツブルク大司教コンラート同盟してオーストリア進軍しハプスブルク軍に勝利を収めたアルブレヒト恐れた選帝侯たちは、弱小ナッサウ家アドルフ新たなローマ王選出しアルブレヒトへのローマ王継承は成らなかった。アルブレヒトアドルフローマ王選出認めたが、ローマ王位への野心捨ててはいなかった。 アドルフ選出された後、アルブレヒトスイス周辺家領経営力を入れた1292年4月13日ヴィンタートゥール前面戦いでハプスブルク軍はチューリヒ市民軍破り東西スイス同盟瓦解したアルブレヒト盟約者同盟に対して直接的な圧力をかけずにオーストリア安定優先しオーストリアシュタイアーマルク発生した反乱鎮圧するハンガリー王位は断念しザルツブルク大司教には大幅な譲歩示して講和した。アルブレヒト義弟であるボヘミア王ヴァーツラフ2世は妻のグタ(ユッタ)に影響され同盟離脱しアルブレヒト危機脱する一方テューリンゲンマイセン干渉するアドルフに対して選帝侯反発示したヴァーツラフ2世中心とする選帝侯アドルフ廃位決定し1298年5月23日マインツアルブレヒト新たなローマ王擁立した1298年7月2日ヴォルムス近郊ゲルハイムアルブレヒトアドルフ交戦したゲルハイム戦い英語版))。ゲルハイム戦いにおいてアルブレヒトアドルフからの一騎討ち挑戦応じ、彼を殺害した伝えられる戦闘の後アルブレヒト諸侯大幅な譲歩示し同年7月27日フランクフルト開催され国王選挙ローマ王選出され8月24日アーヘン戴冠式が行われた。

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