ローマ王即位
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「ロタール3世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「ローマ王即位」の解説
シュパイアー(シュパイエル)においてハインリヒ5世の埋葬式が行われ、マインツで次王の選挙が行われた。候補者はホーエンシュタウフェン家のシュヴァーベン大公フリードリヒ2世、オーストリア辺境伯レオポルト3世、ザクセン公ロタール・フォン・ズップリンブルクであった。ハインリヒ5世は甥に当たるフリードリヒ2世の王位を願ったのだが、この選挙で選ばれたのはロタールであり、彼がローマ王ロタール3世となった。この選挙結果をめぐっては、当時のマインツ大司教による陰謀説など様々あるが、詳細は不明である。 この結果は、当然ながらシュタウフェン家の不満を招くものであった。ロタール3世とシュタウフェン家は1127年より軍事衝突へと突入し、フリードリヒ2世の弟コンラートが対立王に擁立されたが、1135年までにロタール3世が有利な形で講和を行った。結果、コンラートは王位を放棄した。コンラートはロタールが就任していなかったイタリア王としても戴冠していたが、これも対立ローマ王位と合わせて放棄している。 1100年、ノルトハイム伯ハインリヒの娘リヒェンツァと結婚した。リヒェンツァはバイエルン公オットー・フォン・ノルトハイムの孫でオットーの遺産の相続人であった。また、彼女の母親ゲルトルート・フォン・ブラウンシュヴァイクは、その出身家門であるブルノン家のブラウンシュヴァイクの所領を相続しており、ロタール3世は妻を介してこれらの重要な所領を手に入れた。しかし、この結婚から嗣子を得ることはなかったため、当時のバイエルン公ハインリヒ10世に娘ゲルトルートを嫁がせて事実上の後継者とした。これには、シュタウフェン家の影響力が強いシュヴァーベンに勢力を伸張しようとする狙いもあった。2人の間にハインリヒ獅子公が生まれている。
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ローマ王即位
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「アルブレヒト1世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「ローマ王即位」の解説
1291年7月15日にルドルフ1世が没すると、アルブレヒトを取り巻く情勢は目まぐるしく変化する。 スイスの都市はアルブレヒトを脅威に感じ、1291年8月1日にウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデン(ニトヴァルデン)の代表者がリュートリで会合し、盟約者同盟(永久同盟)を結んだ。 スイス東部でベルン、ムルテン(英語版)、パイエルヌ(英語版)が連合し、西ではラウフェンブルク・ハプスブルク家出身のコンスタンツ司教コンラートを中心としてチューリヒ、ルツェルンが同盟を結んだ。東西の連合は連携を取り合ってアルブレヒトに反抗し、1291年12月25日にハプスブルク本家の拠点であるザールネン城を破壊した。 ローマ教皇ニコラウス4世の承認を得た周辺の勢力は反ハプスブルク同盟を結成し、ハンガリー、ボヘミア、ニーダーバイエルン、サヴォイア伯国、聖界諸侯、盟約者同盟が参加した。ハンガリーではラースロー4世の従兄弟にあたるアンドラーシュ3世が国王に擁立され、アンドラーシュ3世はザルツブルク大司教コンラートと同盟してオーストリアに進軍し、ハプスブルク軍に勝利を収めた。 アルブレヒトを恐れた選帝侯たちは、弱小のナッサウ家のアドルフを新たなローマ王に選出し、アルブレヒトへのローマ王位継承は成らなかった。アルブレヒトはアドルフのローマ王選出を認めたが、ローマ王位への野心を捨ててはいなかった。 アドルフが選出された後、アルブレヒトはスイスと周辺の家領の経営に力を入れた。1292年4月13日、ヴィンタートゥール前面の戦いでハプスブルク軍はチューリヒ市民軍を破り、東西スイスの同盟は瓦解した。アルブレヒトは盟約者同盟に対しては直接的な圧力をかけずにオーストリアの安定を優先し、オーストリア、シュタイアーマルクで発生した反乱を鎮圧する。ハンガリー王位は断念し、ザルツブルク大司教には大幅な譲歩を示して講和した。アルブレヒトの義弟であるボヘミア王ヴァーツラフ2世は妻のグタ(ユッタ)に影響されて同盟を離脱し、アルブレヒトは危機を脱する。 一方、テューリンゲン、マイセンに干渉するアドルフに対して、選帝侯は反発を示した。ヴァーツラフ2世を中心とする選帝侯はアドルフの廃位を決定し、1298年5月23日にマインツでアルブレヒトを新たなローマ王に擁立した。1298年7月2日、ヴォルムス近郊のゲルハイムでアルブレヒトはアドルフと交戦した(ゲルハイムの戦い(英語版))。ゲルハイムの戦いにおいてアルブレヒトはアドルフからの一騎討ちの挑戦に応じ、彼を殺害したと伝えられる。 戦闘の後、アルブレヒトは諸侯に大幅な譲歩を示し、同年7月27日にフランクフルトで開催された国王選挙でローマ王に選出され、8月24日にアーヘンで戴冠式が行われた。
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