ローマ王選出前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 01:45 UTC 版)
「ルドルフ1世 (神聖ローマ皇帝)」の記事における「ローマ王選出前」の解説
1218年5月1日にハプスブルク伯アルブレヒト4世(英語版)(1188年 - 1239年)とキーブルク家(英語版)ウルリヒ3世の娘ハイルヴィヒ(1260年没)の間に生まれる。アルザス北部のリムブルク・バイ・ザスバッハでルドルフが誕生した伝承が残るが、伝承の真偽については疑問が持たれている。ハプスブルク家に信頼を置くローマ皇帝フリードリヒ2世が、ルドルフの名付け親となった。 13世紀半ばのフリードリヒ2世とローマ教皇の抗争においては、ルドルフは父アルブレヒトと同じく皇帝派(ギベリン)に与し、ハプスブルク分家のラウフェンブルク家と戦った。1240年に父アルブレヒトが没した後、ルドルフは家督の継承から数年の間にラウフェンブルク家から土地を奪取していき、勢力を拡大する。勢力拡大の過程では、母方の伯父であるキーブルク伯ヴェルナーに土地を要求して争った。バーゼルに夜襲をかけた際に女子修道院に放火し、そのために教会から破門を宣告されが数年で破門を解かれ、伯父ヴェルナーとも和解した。1250年にフリードリヒ2世が没した後、ルドルフは彼の遺児であるローマ王コンラート4世に仕える。 1253年、ルドルフはシュヴァーベンのホーエンベルク伯の娘ゲルトルートと結婚する。 1264年に母方の実家であるキーブルク家の男子が断絶すると、ルドルフは母方の従兄ハルトマンの娘アンナの後見人となる。ルドルフはアンナをラウフェンブルク家のエーベルハルトに嫁がせ、1273年にエーベルハルト夫妻から中央スイス各地の支配地、ツークなどの都市を購入し、親の代に分裂したハプスブルクの支配地を再統一した。しかし、契約文書の中に購入地として記載されていないオプヴァルデンが簒奪された形でルドルフの手に渡り、買収金も全額支払われなかったため、ラウフェンブルク家には大きな不満が残る。 本拠地のアルザス、分家から買い戻したスイスの領地からの収入により、ルドルフは世俗諸侯中で選帝侯に次ぐ資力を有するようになった。ハプスブルク家はスイス最大の封建領主となるが、帝国全土ではシュヴァーベン地方を除いて無名に近い存在だった
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