ローマ略奪とは? わかりやすく解説

ローマ劫掠

(ローマ略奪 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/20 00:20 UTC 版)

ローマ劫掠を描いた銅板画
ローマ劫掠を描いた絵(ヨハネス・リンゲルバッハ作)

ローマ劫掠(ローマごうりゃく、イタリア語: Sacco di Roma)は、1527年5月神聖ローマ皇帝スペインカール5世の軍勢がイタリア侵攻し、教皇領ローマ殺戮破壊強奪強姦などを行った事件を指す。

概説

この頃、イタリアを巡ってはヴァロワ朝フランス王国神聖ローマ帝国による衝突が繰り返されてきた(イタリア戦争)。1515年にはフランス王フランソワ1世の軍がミラノに侵攻し、1521年ミラノ公国を支配するスフォルツァ家を追放するが、神聖ローマ皇帝カール5世は教皇レオ10世と結んでミラノを攻めたので、フランス軍はミラノから退去している。しかし教皇クレメンス7世(レオ10世の従弟)はフランス王と皇帝のどちらに付くか揺れており、フランスと結んだ事が、ローマ略奪のきっかけになる。

1526年パヴィアの戦いに敗れカール5世の捕虜になっていたフランソワ1世は、釈放されると、カール5世に対抗するコニャック同盟を結成した。教皇もこれに加わり、皇帝と同盟していたフェラーラアルフォンソ1世・デステ破門し、ローマに幽閉した。これに対し、カール5世はローマへ軍勢を差し向け、スペイン兵、イタリア兵などからなる皇帝軍とドイツ傭兵がローマに進軍した。ドイツ兵にはカトリックを憎むルター派が多かったという。また長期の行軍に給料の支払いも悪く、飢えた兵も多かった。

1527年5月6日、ローマで皇帝軍と教皇軍の衝突が始まるが、クレメンス7世はサンタンジェロ城に逃げ込み、教皇軍は敗北した。この時、皇帝軍の指揮官であったブルボン公シャルル3世が戦死したが、指揮官を失ったにもかかわらず、配下の兵たちの士気はむしろ高まった。そして統制を失った軍勢はローマで破壊と略奪の限りを尽くした。市民らはなすすべもなく、6月に教皇は降伏した。皇帝軍がローマを撤退したのは翌年であった。

モーリス・セーヴはその惨状を以下のように綴っている。

駝鳥〔カール5世〕の呼び声を聞いた天翔ける鹿〔ブルボン公〕は
荒らされたねぐら〔没収されたブルボンの領地〕をはや捨てて飛び立つ
舞い降りたのはヨーロッパの一番高きとこと〔ローマ〕
そこならば平安と休息を得られると信ずるがゆえ
神聖この上なき彼の地を、天翔ける鹿は侵す
その悪名高き冒涜の手〔ドイツ傭兵隊〕をもって……

ローマに集まっていた文化人・芸術家は殺され、あるいは他の都市へ逃れた。文化財は奪われ、教会なども破壊され、ルネサンス文化の中心だったローマは壊滅、停滞の時期を迎えた。これによって1450年代から続いていた盛期ルネサンス時代は終わりを告げた。

カール5世自身はカトリック教徒であり、これほどまでの略奪を意図していたわけではなかったが、事態は皇帝側に有利となった。1529年、教皇と皇帝はバルセロナ条約を結んで和解、イタリアはカール5世の支配下に入った。1530年ボローニャにおいて教皇クレメンス7世の下、カール5世に対して神聖ローマ皇帝の戴冠式が行われている。アルフォンソ1世も破門を解かれ、モデナレッジョを与えられた。

なお、フィレンツェ共和国を治めていたクレメンス7世の庶子アレッサンドロもこの騒ぎに乗じた市民に追放されたが、1530年にカール5世の支援で復帰、1532年に公爵位を授与され、フィレンツェ公国を成立させた。

参考文献

  • アンドレ・シャステル『ローマ劫掠 一五二七年、聖都の悲劇』 越川倫明他4名訳、筑摩書房、2006年
  • グイッチァルディーニ イタリア史 第9巻』 川本英明訳 太陽出版、2007年 ※原典、全9巻
  • Buonaparte, Jacopo (1830). Sac de Rome, écrit en 1527 par Jacques Bonaparte, témion oculaire: traduction de l'italien par N. L. B. (Napoléon-Louis Bonaparte). Florence: Imprimerie granducale.
  • Arborio di Gattinara, Mercurino (Marchese) (1866). Il sacco di Roma nel 1527: relazione. Ginevra: G.-G. Fick.
  • Carlo Milanesi, ed. (1867). Il Sacco di Roma del MDXXVII: narrazione di contemporanei (in Italian). Firenze: G. Barbèra.
  • Schulz, Hans (1894). Der Sacco di Roma: Karls V. Truppen in Rom, 1527-1528. Hallesche Abhandlungen zur neueren Geschichte (in German). Heft 32. Halle: Max Niemeyer.
  • Lenzi, Maria Ludovica (1978). Il sacco di Roma del 1527. Firenze: La nuova Italia.
  • Chamberlin, E. R. (1979). The Sack of Rome. New York: Dorset.
  • Pitts, Vincent Joseph (1993). The man who sacked Rome: Charles de Bourbon, constable of France (1490-1527). American university studies / 9, Series 9, History, Vol. 142. New York: P. Lang. ISBN 978-0-8204-2456-9.
  • Gouwens, Kenneth (1998). Remembering the Renaissance: Humanist Narratives of the Sack of Rome. Leiden-New York: BRILL. ISBN 90-04-10969-2.
  • Gouwens, Kenneth; Reiss, Sheryl E. (2005). The Pontificate of Clement VII: History, Politics, Culture ((collected papers) ed.). Aldershot (UK); Burlington (Vt.): Ashgate. ISBN 978-0-7546-0680-2.

関連項目

外部リンク


ローマ略奪

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ローマ略奪 (410年)」の記事における「ローマ略奪」の解説

アラリック1世は再びイタリア半島襲撃ホノリウス帝が待ち受ける首都ラヴェンナには向かわず直接ローマ進撃する皇帝はいなくても西方の富の大部分集中し100万市民抱え富裕貴族豪奢な生活ぶりは到底他の都市に及ぶところではなかった。4西ゴート軍に包囲されローマ糧食尽き飢餓苦しんだローマ止むを得ず特使派遣して和平交渉し、巨額賠償金を払うことで包囲を解くことを約束させたが皇帝了承得られず、ラヴェンナ宮廷協定違反行為から失敗した。 そして410年8月24日、ついに西ゴート軍勢サラリア門からローマ市内に雪崩れ込み3日渡って市内略奪した帝国象徴する多く公共施設略奪にあい、アウグストゥス廟ハドリアヌス廟など歴代皇帝墓所暴かれ遺灰壺も破壊された。ラテラノ宮殿からはコンスタンティヌス1世寄贈した銀製聖体容器英語版)が奪われた。動かすことのできる価値あるもの市内全域から持ち去られたが、建物自体大きく破壊されたのはフォルム・ロマヌム元老院議場付近サラリア門付近に限定されていた。サラリア門近くサッルスティウス庭園英語版)は破壊され二度と再建されることはなかった。フォルム・ロマヌムバシリカ・アエミリアおよびバシリカ・ユリアもこの時焼け落ちた破壊逃れたのは教会関係施設けだった住民被害大きく皇帝の妹のガッラ・プラキディア含め多く捕虜となり、その多く奴隷として売り飛ばされたり、強姦虐殺された。身代金払って救われたのはごく僅かだった。難を逃れた住民は、遠くアフリカ属州落ち延びた

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